生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日
 
 

社会教育の歴史−明治期 (しゃかいきょういくのれきし−めいじき)

キーワード : 通俗教育、通俗教育調査委員会、三条教憲、山名次郎、社会改良
蛭田道春(ひるたみちはる)
2.通俗教育の成立と展開
 
 
 
 
   わが国の社会教育の創始は、明治初年設置の図書館、博物館、新聞縦覧所の活動にみられ、福沢諭吉、加藤弘之、森有礼、西村茂樹、西周らによる明六社の啓発的活動も社会教育活動と見ることができる。
 明治10年代には、社会教育は通俗教育の概念でさらに整備される。「通俗」については、明治15(1882)年文部省が地方学務官に対して述べた中に「通俗近易ノ図書ヲ備存シテ庶民ノ展覧ニ供セシメモ以ッテ読書修業ノ気味ヲ下流人民ニ配與セントスル」(明治15年、文部省が地方学務官に対して、教育施設についての訓示「明治以降教育制度発達史」第二巻、55頁)とあり、一般民衆を対象としていたことがわかる。また、論説「小学校教師ト人民ノ間ヲ親密ナラシムルハ目下ノ急務」(「大日本教育会雑誌」明治18年9月)の中に「努メテ学術上ノ論法ヲ除キ簡易通俗解シ易キヲ貴ブ・・・」とあり、一般民衆啓発の必要性があげられている。
 当時は欧米列強に伍する国家体制をつくるために、義務教育の普及は重要課題であった。森有礼文相は「不就学者ノ父兄ヲ感化スルニアルノミ」(明治20(1887)年11月23日「愛知県尋常師範学校において郡長及び県会常置委員に対する演説」「森有礼全集」第一巻、597頁)と考え、「全国ノ男子十七ヨリ二十七ニ至ル迄其学ニ就カサル者トヲ問ハス、総テ皆護国ノ精神ヲ養フノ方法ニ従ハシメ・・・・其区域内ノ人民ヲ学校ニ集メ、聴講又ハ運動ニ従事セシメ、庶幾クハ忠君愛国ノ意ヲ全国ニ普及セシメ・・・・」(「閣議案」「森有礼全集」第一巻 246頁)ることであった。通俗教育は、明治18(1885)年12月文部省事務章呈の中で学務局第三課の所掌事務として始めて扱われ、翌年2月文部省官制(勅令第二号)にも学務局第三課の所掌事務として取り扱われることになって、通俗教育行政が始まった。具体的な通俗教育活動は主に教育会がその役割を果たしていた。地方の教育会では一般父兄に教育の意味を理解させるため、教育品展覧会、通俗教育談話会、幻燈会等が盛んに開催されていた。さらに、教育会図書館を開設して一般民衆に開放したりしている。なお、当時の通俗教育論として、「人民を啓発する説」、「風俗(社会)改良論」、「理学思想普及説」等がある。
 通俗教育論にはわが国最初の社会教育論といわれる山名次郎著「社会教育論」(明治25(1892)年)があり、同類の単行本として、庵地保著「通俗教育論」(明治18(1885)年)、佐藤善治郎著「最近社会教育法」(明治32(1899)年)がある。注目すべき点は、山名が「徳性涵養品性陶冶の基礎を鞏固」にすることまでを主張していることであった。
 明治30年代になると、通俗教育談話会は通俗演説会、通俗講演会と呼ばれ、盛んに行われ、幻灯会も盛んであった。それらは日露戦争中も各学校施設を開放して盛んに行われた。日露戦争後の社会情勢の変化に対応して、初めて通俗教育の整備を行うことになり、明治44(1911)年、小松原文相のもとに、通俗教育調査委員会官制を制定し、通俗教育の調査・審議を行った。
 通俗教育調査委員会は、行政改革のために大正2(1913)年6月に廃止されたが、その役割は日露戦争後の社会思想の混乱に対して、健全な国民思想(国民道徳)の涵養にあった。わが国の社会教育の原型を残したといえるであろう。
 
 
 
  参考文献
・文部省『学制百年史』昭和47(1972)年
・鈴木博雄編著『原典・解説 日本教育史』図書文化、昭和60(1985)年
・湯上二郎編著『社会教育概論』日常出版、昭和57(1982)年
 
 
 
 
 



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