生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2009(平成21)年2月2日
 
 

視聴覚教育メディア (しちょうかくきょういくめでぃあ)

キーワード : 視聴覚教育、教育メディア、教育メディア研修モデルプラン、情報教育
下川雅人(しもかわまさひと)
2.視聴覚教育メディアの変遷1
 
 
 
 
  【掛図、幻燈、映画、紙しばい】
 1873(明治5)年に学制が発布され、全国の小学校に黒板が設置された。当時の教育のようすを紹介した「訓童小学校教導之図」(肉亭夏良画)には絵入りの掛図で「単語帳」「連語図」が描かれている。1875(明治7)年、アメリカから西洋式の「幻燈機」と「幻燈画」が導入され、師範学校などで幻燈教育がはじまった。映写機と映画フィルムが日本に輸入されたのは1896(明治28)年である。文明開化の波に乗り、活動写真巡回の興業が全国に広がった。当初は青少年に対する映画の悪影響が社会問題となり、教育の場で使われはじめたのは大正時代に入ってからであった。また、紙しばいが1925(大正13)年に東京の下町に登場し、街頭紙しばいの普及にともない、昭和初期に入ると学校教育や社会教育の場でも使われるようになった。
【16ミリ発声映画(ナトコ映写機)】
 戦後、占領下の1948(昭和23)年、GHQ(連合国最高司令部)は民主化教育を進めるために、ナトコ映写機1300台と、CIE映画(アメリカの文化映画)を全国の都道府県に貸与した。これは、映画を通じて広く全国各地に西欧的な生活様式を紹介し、啓蒙しようとするものであった。以後、教育用映画として、このナトコ映写機が日本で開発された16ミリ発声映写機の原形となった。
 1952(昭和27)年2月には、文部省から視聴覚教育に関する初の手引き書「視聴覚教材利用の手引き」が刊行された。その後、文部省社会教育局内に「視聴覚教育課」が設置され、学校教育や社会教育における視聴覚教材利用に関する手引き書が次々と出された。ナトコ映写機によるCIE映画会が軌道にのり、映画は主に社会教育の分野で活用されるようになり、さらに映画の教育利用を進めるために、全国に公立の視聴覚ライブラリーが設置されていった。手軽な教師用の映写機も次々と開発され、それに応じて、新しい映画教材も次々と製作されるようになった。
【スライド映写機】
 戦後、スライド映写機は、小中学校で保有されながら、あまり使われてはいなかった。1951(昭和26)年、その映写機を取り出し、全国すべての学校が、ある日、一斉にスライドを映写して見せる時間をもったら・・・という趣旨から、「幻燈の日(11月11日)」(後にスライドの日)が制定された。
 従来のスライド映写機と1950(昭和25)年に発売されたテープレコーダーを接続し、信号により画面の転換と音声を同調させる発声スライド映写機(オートスライド)が開発(1952(昭和27)年)され、スライドの改良が進められた。
【テレビ放送、ビデオテープレコーダー】
 1953(昭和28)年にテレビジョン放送が開始され、1958(昭和33)年にはNHK東京教育テレビジョン局放送が開始された。1956(昭和31)年にはアメリカで放送局用ビデオが開発され、1961(昭和36)年には、国内で民生用ビデオ(オープンリール式)が発売された。
 1975(昭和50)年〜1976(昭和51)年にはベータとVHS両方式によるカセット式ビデオも開発され、価格の低廉化により、学校や一般家庭にも導入され、番組の録画やビデオカメラの利用による教材の自作も行われるようになってきた。
 
 
 
  参考文献
・日本映画教育協会『視聴覚教育のあゆみ』日本映画教育協会、1978年
・稲田達雄『映画教育運動30年』日本映画教育協会、1962年
 
 
 
 
 



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