生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2008(平成20)年12月24日
 
 

昭和期における民間の学習活動 (しょうわきにおけるみんかんのがくしゅうかつどう)

private activities of learning in the Showa Era
キーワード : 地方文化運動、地方知識人、サークル、住民運動、カルチャーセンター
久井英輔(ひさいえいすけ)
3.民間教育産業と生涯学習
  
 
 
 
  【昭和初期における民間教育産業】
 人々の自発的な学習活動に対して、民間が営利ベースで学習の機会を提供するというケースは、いわゆる「お稽古事」という観点で見れば、近代以前から存在していた。また新聞社による一般対象の講習会、講演会事業も、大正期から見られる。しかし、民間企業が組織的形態で大規模に学習機会を提供するようになったのは、昭和初期以降である。1938(昭和13)年に小林一三らの指導により開設された東京婦人会館は、講演会、講習会、生活相談、運動設備、各種のお稽古事教室などをてがけ、都市部の女性を対象とした文化・教養の学習の場としての役割を担った。太平洋戦争の戦局悪化にともなって東京婦人会館は閉鎖されたため、その活動はわずかな期間に伴ったが、この取り組みは、戦後のカルチャーセンターの先駆的存在としての意義を持っていた。既に大正、昭和初期に、新中間層の拡大に伴う消費文化の拡大が都市部にみられ、新中間層の教養・文化活動に対する関心の高さも注目されていた。東京婦人会館の試みは、都市住民個々の自発的な教養・文化活動への欲求の高まりに対応したものであった。
【カルチャー・センターの動向】
 戦後、カルチャーセンターは1950年代後半から徐々に都市部で開設されるようになる。その嚆矢は、戦前の活動を引き継ぐ形で再設立された東京婦人会館(1955年、後の産経学園)であった。その後、主にマスコミ(新聞社・民放テレビ局)企業を基盤としたカルチャーセンターが、日本各地の都市部に設立され、対象者も女性に限らず成人一般に開かれるようになっていった。特に新聞社がこのような事業に乗り出した背景には、これまでにも主催文化事業として行っていた講演会・講習会などの事業を拡充・組織化して消費者にアピールし、新聞以外の競合するメディアの展開に対抗しようとするねらいがあった。
 これらのカルチャーセンターは、戦後復興を成し遂げ、教養・文化活動への関心が再び高まりつつあった都市住民、特に主婦層を主対象としていた。しかしその取り組みが大きく拡大していったのはむしろ1970年代半ば以降であろう。朝日カルチャーセンター(1974年)に代表される、これまでと比較してより大規模な事業が、マスコミだけでなく流通産業(百貨店など)の参入により、主に大都市の中心部において展開された。80年代にはこの動きが地方都市へと波及していった。営利企業による大規模な設備投資の対象として成り立つほど、消費行動としての(文化・教養を中心とした)個別的な学習活動への関心が人々の間に高まったのが、70年代〜80年代という時代の特色であった。
 
 
 
  参考文献
・全国民間カルチャー事業協議会編『民間カルチャー事業の実態調査(民間カルチャー事業白書第2集)』1991年
・山本思外里『大人たちの学校 −生涯学習を愉しむ−』中央公論新社、2001年
 
 
 
 
  



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