登録/更新年月日:2006(平成18)年11月2日 |
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ジェロゴジー(エルダーゴジー)の語は、アメリカそして日本においては、高齢学習者の特性を考慮した学習援助論の体系化を目指す文脈で用いられることが多い。 用語・考え方を広める契機となったJacques Lebel の論文(1978)においては、アンドラゴジーと比較しつつ、ジェロゴジーを「高齢者を教える技術と科学」と定義し、高齢学習者の特性を次のように指摘していた。1)成人は自己主導的な自己概念をもつ→高齢者は依存的な自己概念をもつ、2)成人は学習資源となる経験を多くもつ→高齢者は多くの経験を学習資源として用いることが困難となる、3)成人の学習動機は、社会的(職業上の)役割と関連が大きい→高齢者の学習動機において、社会的(職業上の)役割との関連は小さくなる、4)成人は学習の成果の即時的な応用を志向する→高齢者は成果より過程、学習の経験それ自体を意味あるものとする。 その後、Gwen Yeo(1982)は、エルダゴジーの語を用いて、高齢者のための教育実践の計画・実施・評価のモデルを、1)ニーズの把握、2)クラスの設定、3)場所・日程の設定、4)カリキュラムと教授デザイン、5)学習支援者の種類・役割・組織、6)学習活動の継続への動機付け、という各段階に分けて提示している。 一方で、この間には、ペダゴジー/アンドラゴジーという図式に対しての批判的検討が進む。また、高齢期における教育・学習の必要性や可能性を論じ、高齢者のための学習機会の整備・充実を図ろうとする取り組みが、反面において、高齢者の特性を過度に強調することにより年齢差別を助長するというジレンマについての指摘・認識が広まっていく。そのなかで、アンドラゴジー/ジェロゴジーという図式についても根本的な批判が寄せられることとなるのである。たとえばヒューマナゴジー(humanagogy)という用語・考え方を提示したRussel S. Knudson(1979)、ゴジーマニア(Gogymania)という表現をしたBradley Courtenay and Robert Stevenson(1983)など、多様な成人の下位集団それぞれについて細分化した教育・学習論を志向することへの疑問・牽制が相次ぐこととなったのである。 今日では、ジェロゴジーに固有の理論やモデルの構築を期待するというよりは、ペダゴジー、アンドラゴジーという視点からはとらえ難い教育・学習の理解への寄与を期待する議論の多いことも指摘しうる。今日に至るまで、高齢者教育、高齢期の学習支援などの表現でまとめられる議論は多々、様々に展開をみてきたが、ジェロゴジーの体系化をなしたという論者や著書を特定できる段階には至っていない。 br> |
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参考文献 ・Martha,Tyler,John『Geragogy:A Theory for Teaching the Elderly』1988. ・L・ローウィ&D・オコーナー著 香川正弘・西出郁代・鈴木秀幸訳『高齢社会を生きる高齢社会に学ぶ』ミネルヴァ書房,1995. |
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