登録/更新年月日:2006(平成18)年8月29日 |
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生涯学習の実践は、いくつもの分野にまたがっている。日本における解釈では、対象となる人は子どもから成人まで、またその内容についても個人の就職やキャリアアップを支援する学習から、余暇を充実して過ごす生き甲斐を支援する学習まで幅広い。このような多様な実践のなかで、1990年代以降、各国の教育改革のなかで注目を集めているのが生涯学習の「市民性 citizenship」を育成するという側面である。「市民性」とは次の二つの意味がある。ひとつは、「大人」として客観的な判断力を身につけ精神的に成熟するという側面、もうひとつは社会の成員としての権利と義務を行使するという側面である。従来、日本では、「学校」における教育期間を経て企業等に就職したことを、「社会人になる」と表現し、このような慣用表現で上の二側面を言い表してきた。しかし生涯学習社会において就職が成人としてのゴールとはいえず、また終身雇用制の崩壊とともに企業等への就職というライフコースがすべての人のモデルとはなりえないこと、そのため社会の成員としての意識を企業等に依存せずに個人が国家との関係を個別に思考しなければならないことなどが明らかになった。現在、あらためて「市民性」が日本においても教育思想の用語として登場してきた背景には、以上のような社会の変化がある。 歴史をふり返ると、「シティズンシップ」とは、国家などの共同体の主権者としての市民の在り方を示す語であり、17世紀の市民革命以降に定着した言葉である。社会学者のT.H.マーシャルによると、シティズンシップは次の三要素に分類される。第一に18世紀に確立された私的所有権など個人的自由を表す市民的権利、第二に19世紀に確立された選挙権や被選挙権などに代表される政治的権利、第三に20世紀に確立された福祉や最小限の安全を請求する社会的権利である。ただし、これらの三要素は、国民国家が多様な人々を「国民」として包摂する過程において派生的に生じてきた権利の諸側面を指す。したがって長い間、教育という観点からみると、「市民性」を育成することとは「国民」として人々を統合することとほぼ同義であった。 しかし20世紀後半、グローバリゼーションの進行に伴い国民国家ならびに福祉国家の枠組みが見直され始めると、「市民」と「国民」が必ずしも一致しないこと、「市民」としての市民的、政治的、社会的権利の行使が必ずしも「国家」の境界内に収まらないことなどが明らかになる。教育学者の小玉重夫によると、現在、「シティズンシップ」概念は、一方で「統合」を前提にするという意味において批判されつつも、他方で新たな公教育思想の可能性を追求することが期待されるという「両義性」を抱えている。 br> |
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参考文献 ・小玉重夫『シティズンシップの教育思想』白澤社、2003年 ・T.H.マーシャル『シティズンシップと社会的階級』法律文化社、1993年 |
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