生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2015(平成27)年6月21日
 
 

伊賀市比自岐地区における住民自治としての公民館活動 (いがしひじきちくにおけるじゅうみんじちとしてのこうみんかんかつどう)

キーワード : 公民館、住民自治、協働、地域活性化、市町村合併
内山淳子(うちやまじゅんこ)
2.比自岐公民館の歴史的変遷
 
 
 
 
  1.郷土史教室による伝統文化の復活〜1970年代の比自岐公民館活動
 1970年代の比自岐公民館では、館長を社会教育課職員、事務員を行政職員が務め、分館主事・青年学級主事・産業主事は地域住民が委嘱を受けて事業の企画・実施が行なわれた。昭和50(1975)年度には、「青年学級」「スポーツ少年団」「児童福祉会」「婦人学級」「民謡講習会」「映写会」等、年間136もの活動が報告されている。
 比自岐では、伊賀の伝統文化である雨乞いの「かんこ踊り」を奉納しハナ取りを行う「祇園祭」が1500年代後半から続いてきたが、唄出しを行う青年団員の減少により途絶えていた。昭和50(1975)年に唄い方教本「祇園ならし」が発見されたことを契機として、公民館「郷土史教室」の委員が小学校高学年男子と父親に「踊り子」と「唄出し」を依頼し、年配者が踊りとほら貝・鐘・太鼓の扱い方等を教え行事が復活した。当日は市の文化財専門委員、社会教育課長等が視察に訪れ、比自岐祇園踊は市の無形文化財の指定を受けた。以後「比自岐祇園踊保存会」を結成して地元の小学生男女と親へと受け継がれている。

2.比自岐公民館の住民嘱託職員による運営と地域活性化イベント〜2004年の合併まで
 旧上野市教育委員会は平成5(1993)年に社会教育課から生涯学習課へ名称変更し、分館の公民館主事・青年学級主事・産業主事委嘱は平成7(1995)年度末に終了した。分館運営審議会も廃止されるなか、比自岐では「比自岐公民館活動振興会」を開設し、現在も住民役員が活動報告と予算・決算審議を行っている。
 比自岐公民館に併設する比自岐事務連絡所は平成8(1996)年に比自岐地区市民センターに名称変更された。平成9(1997)年には市職員が引きあげ、地域住民が館長・公民館主事・事務を嘱託職員として務めるようになり、当時の政策であった社会教育施設運営の弾力化がみられる。
 1990年代の比自岐公民館活動は、住民自ら地域の再生を図る活動に発展し、地区外のボランティア・行政・企業との連携へと変化していく。「コスモス祭り」は減反政策による休耕地に景観作物コスモスを植える施策として1992年に始まった地区最大のイベントである。中山間部と都市との交流を促進する地域活性化のモデル事業としても位置づき、5000人もの来場がある。
 住民は毎年「コスモス祭り実行委員会」を組織して、種蒔きから長期にわたるコスモス畑の管理、さつまいも掘り体験の畑づくり、野菜作りの会「食彩工房笑み」が行う野菜販売や地元産加工食品試食会など地区民総出で実施する。外部の模擬店やステージ出演も定着し、平成17(2005)年からは交流先である鳥羽市答志町からも出店して規模を大きくしてきた。
 もう一つの地域イベントに「ホタル祭り」がある。比自岐川のホタルは1990年代に入ると見られなくなった。環境教育に取り組む社会教育ボランティア団体「上野生涯学習推進会議」は、1999年から比自岐小学校で3・4年生に幼虫の飼育を指導し、6年生が卒業行事として孵化前の幼虫を川に放流していた。
 平成20(2008)年の小学校休校後は、住民と団体が活動を継続している。6月のホタル祭り開催後に採集して産卵させ、住民の代表が幼虫のエサとなる貝を育てながら飼育する。成虫が飛び交う祭り当日は、小学校体育館を会場に影絵鑑賞会やコンサートなどのプログラムを組み、一帯住民が環境保全を考えるイベントして定着している。
 
 
 
  参考文献
 
 
 
 
 



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