生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日
 
 

社会教育委員 (しゃかいきょういくいいん)

キーワード : 社会教育法、寺中作雄、井内慶次郎、社会教育審議会答申、生涯学習審議会答申
蛭田道春(ひるたみちはる)
1.社会教育委員の歴史
  
 
 
 
   戦後の社会教育委員の始まりの理由については,次の寺中作雄の「社会教育法制定の頃−特に公民館発足時の思い出−」(『社会教育』昭和29(1954)年6月)から伺える。
「昭和20年,終戦による官庁機構の切り替えによって,文部省に社会教育局が復活した。・・毎日局の各課長が集まって,・・ある日の局議で,・・取りあえず社会教育委員を復活しようじゃないかということになった。・・ 」
 このことから,当時,社会教育を推進するために取りあえず社会教育委員を復活することが文部省内では共通の考えであった。つまり,社会教育委員について,急に戦後,考え出されたものではなかった。
 都道府県市町村の社会教育委員に関しては,昭和21(1946)年5月31日「都道県社会教育委員竝に市町村社会教育委員設置について」(文部事務次官)が出されている。
 昭和24(1949)年の社会教育法の公布によって社会教育委員制度は,明確な法的根拠を有することになったのであるが,前述の「都道府県社会教育委員並に市町村社会教育委員設置について」(昭和21(1946)年5月 文部次官通牒)の制度を刷新するものであった。この新旧の社会教育委員制度の内容の相違について,井内慶次郎が「社会教育委員について」(『社会教育』第5巻2号、昭和25(1950)年2月1日)と題して明確に述べているので下記に紹介してみる。
 まず,旧社会教育委員制度(昭和22(1947)年から社会教育法の公布まで)について,「この旧社会教育委員の果した役割は,わが国における社会教育発展史上において充分高く評価されなければならない。時に昭和22年度より継続して行われている社会教育研究大会に対する協力,公民館運動への全面的挺身等,社会教育委員の活動は大なる成果をあげてきたのである。」と評価している。そして,「教育委員会制度の発足に伴い,徹底した教育行政の民主化と地方分権化が要求されている今日,旧社会教育委員制度に対しても充分批判的立場がとられなければならないであろう。」として新旧の社会教育委員制度の相違点を次のように指摘している。
(1)都道府県と市町村とで社会教育委員の任務について旧制度では違っていたが,新制度(社会教育法下での制度)では同一とした。
(2)社会教育委員の委嘱範囲について旧制度では多様な団体や施設の代表者が規定されたが,新制度では学校長,社会教育関係団体の代表などがあがった。
(3)社会教育委員の任務について,旧制度では社会教育の視察奨励,社会教育の実践的活動の性格が強い。新制度では,社会教育行政活動であり,意見具申などのように民間の意見,世論を教育委員会に反映させることにある。
(4)定数,任期については地方の実情により条例で定められる。
 このように,戦後の社会教育委員制度が成立したのであるが,その性格は教育委員会の諮問機関で,その役割は,計画立案,諮問答申,研究調査,教育委員会の会議における意見開陳の四つの方法であった。

 
 
 
  参考文献
・蛭田道春著『社会教育委員の歴史研究』全日本社会教育連合会、平成14(2002)年
 
 
 
 
  



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