生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日
 
 

青年団体−中央青少年団体協議会・青年団・修養団− (せいねんだんたい−ちゅうおうせいしょうねんだんたいきょうぎかい・せいねんだん・しゅうようだん−)

キーワード : 青少年団体、青少年教育、中青協、日本青年団協議会、SYD青年部
内田忠平(うちだただひら)
3.修養団−SYD青年部
  
 
 
 
  【特徴】
 修養団は明治39(1906)年、東京府師範学校(現、東京学芸大学)で蓮沼門三初代主幹を中心とした学生達により創立された。修養により自らの人格の向上を図り、精神的教育を行って社会を改善しようというものであった。
 以来、「愛なき人生は暗黒なり 汗なき社会は堕落なり」を信条とし、総親和、総努力、総幸福の明るい世界の実現を目指して「愛と汗」の活動を展開している。 
【動向】
1)草創期:明治39(1906)年〜明治43(1910)年
 全国師範学校長会での蓮沼門三の破天荒な講演や同志による地域遊説、財界の渋沢栄一と森村市左衛門からの支援や明治41年の機関紙『向上』の創刊は団の発展につながった。また明治42年に愛知県西加茂郡支部が誕生し、各地で支部が設立された。
2)伸展期:大正元(1912)年〜大正14(1925)年
ア.学生寄宿舎「向上舎」の経営
イ.幼年会(少年団)の活動
ウ.天幕講習会の開催等
 天幕講習会が盛んに行われ、また各地の女性教師や処女会(女子青年団)に影響を与えた。松本稻穂が大正9年に創案した国民体操(後の「ラジオ体操」)は全国に普及した。
3)激動期:昭和元(1926)年〜昭和20(1945)年
 昭和は労働争議の多発、金融恐慌、左翼思想の台頭などで幕を開け、労使協調を強く望んだ産業界に「総親和、総努力」をスローガンとする団の活動が広く浸透していった。昭和2年に団の精神的な支柱となる著作『道のひかり』を門三が完成させた。「弱者救済、同胞相愛」の精神に基づき社会事業も行った。昭和16年に支部2,000余、講習講演参加者は600万人を超える。
4)復興期:昭和20(1945)年〜昭和42(1967)年
 昭和22年、GHQは修養団を人道主義的団体として認め存続を承認した。同年新潟で少年少女臨海講習会、大阪で婦人講習会等を開き、猪苗代湖畔での第1回農村青年講習会は戦後の講習会の原型の一つになった。昭和26年には蓮沼門三が追放令解除となり翌年主幹・理事に復帰。ブラジル各地を巡行し、ブラジル修養団発展にはずみをつけた。
 昭和27年から明るい社会建設運動を文部省後援を得て展開し、青年部に発展。昭和37年からは国土美化キャラバンを全国で展開し、沖縄には本土復帰前の41年から実施、平成5年まで継続した。
5)転換期:昭和43(1968)年〜昭和63(1988)年
 経済成長期のこの時期、社会教育事業を展開。昭和43年、初代理事長に倉田主税(日立製作所会長)が就任、伊勢講習会へ企業からの社員派遣が盛んになる。
 昭和48年度から文部省補助事業に積極的に取り組み、家庭教育の重要性を若い母親たちに訴えたりした。昭和58年度からボランティア活動、63年度からエコロジー運動にも力を入れ、国際交流事業にも取り組んだ。
6)新展開期:平成元(1989)年〜平成17(2005)年
 月刊誌『向上』は平成7年6月号で1,000号を迎え、翌年の設立90周年を機に「SYD」という略称を採用した。
【課題】
 「愛と汗」の精神を身近なものとする「幸せの種まき運動」(「こんにちは」:ふれあいの種、「どうぞ」:思いやりの種、「ありがとう」:よろこびの3つの種)をスタートさせ、「世界に笑顔の花を!」を合言葉にしている。また、「SとD」指導者資格認定制度の取り組みを行っている。その普及と展開が設立101年以降の課題となっている。
 
 
 
  参考文献
・修養団『社会教育100年「愛と汗」の歩み』修養団、2005年
・修養団URL:http://www.syd.or.jp/
 
 
 
 
  



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