生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年9月23日
 
 

公民館の歴史 (こうみんかんのれきし)

history of the Japanese Community Learning Center(Kominkan)
キーワード : 公民館構想、公会堂、社会教育史、公民館の起源
ブストス・ナサリオ(ぶすとす・なさりお)
2.公民館構想の源流(その2)
 
 
 
 
   公会堂の構想を井上とは別の点から、またいろいろな機能を付け加えて、よりくわしく述べたのが横井時敬である。
 横井時敬(当時東京農業大学学長・理事長)は、その著書 『農村制度の改造』( 大正14(1925)年)の中で〔公会堂〕を提案している。
 「公会堂は娯楽にたいして相当の設備をなすのである。幻燈・活動写真・音楽・講談・芝居など、相当に催し得らるるやうにするのが理想である。」(230頁)
 「戸外遊戯競技の場所も設けたいが、これは小学校の運動場を開放するのが、経済上より見て便利であらう。」(230頁)
 「公会堂には新聞、雑誌その他多少の図書を備えて文庫とするが宜しく、読書室にては村民自己の図書などを携え来たりて読むも宜しかるべきである。」(230頁)
 「柔道、剣道などの道場また公会堂の一部に置くがよいに相違ない。」(231頁)
 横井は、井上の構想に加えてここでは活動写真・幻燈・音楽会・講談・芝居などの開催や新聞・雑誌・図書の設置や読書室や料理屋などの設置などにも言及しているが、公会堂は農民の生活を向上させるためのものであるという点で、両者のイメージはほとんど同じものであるといってよいであろう。
 その後、このような構想をより具体化したのが当時優良町村の調査を行っていた菅原亀五郎である。その著書『理想郷土の建設』( 昭和4(1929)年) の中で、彼は「公民館」という名称を初めて使ったが、『理想郷建設の五型』( 昭和7(1932)年) の中で次のように書いている。
 「理想郷土建設には次の五型式が考えられる。
 a)市町村役場または部落中心、b)青年団体または教化団体中心、c)産業組合中心、d)青年学校及び小学校中心、e)公民館中心」(26頁)
 この『公民館』に関して菅原は次のような構想を述べている。
 「公民館とは『共同の家であり各階級における橋渡しとして各階級の方が隔てなく 共同和楽するために、公民館に集まり、その館を利用する』もので、趣味面や娯楽面のほか経済的産業的諸施設を併せて、町村民の利用に供するものである。」
 これらのことから、明治の後半から大正、昭和初期にかけて、農村に公会堂ないしは公民館のような施設が必要だとする論があったことがわかるであろう。その構想は第二次大戦後の公民館と似ているところが多く、公民館の源流ともいえるものである。
 また、現在の公民館に類似した、実際に建てられた施設があった。例えば、明治30(1897)年に〔キングスレー館〕、明治41(1908)年に〔三崎会館〕、明治44(1911)年に〔有隣園〕、昭和3(1928)年に〔南岳荘〕、昭和16(1941)年に「郷土館」等が建てられた。
 このようにみてくると、何人かの公民館構想や実際に建てられた施設の規模、目的、事業内容を検討すると、次のようなことがいえるように思う。
A)公民館には戦前に前史がある。
B)公民館の先駆施設は多くの観点 (農業、宗教, 教育、経済、社会主義、文化など)から作られたため広範囲の活動ができた。
C) 現在の公民館の構想は、戦前に存在した施設の構想や実際の機能をかなりの部分で継承したものであろう。
D)これからの公民館活動としての余暇活動振興・学習活動の援助・計画、学校との連携、学習情報提供・学習相談事業なども、依然としてそのような戦前施設の構想をかなりの部分で継承するものであるといえるであろう。
 
 
 
  参考文献
横井時敬『農村制度の改造』大正14(1925)年、東京書肆有斐閣。
菅原亀五郎『理想郷建設の五型』昭和7(1932)年、東京南光社。
 
 
 
 
 



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