登録/更新年月日:2011(平成23)年1月1日 |
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中山間地とは,「平野の外縁部から山間地 」のことであり,わが国土面積の「およそ69% 」,かつ,「農業集落数の50% 」を占めている。すなわち,この中山間地は,わが国の食料自給において,大きな役割を担っている地域である。しかしながら,近年,中山間地の農業の低迷,そして,都市部との間の経済格差の大幅な開きから,中山間地からの農業人口の大幅な流出,それに伴い,さらなる中山間地の農業の低迷という「悪循環」が大きな問題となってきている。そのため,中山間地からの農業人口の流出を防衛する政策が全国的な課題となっているが,「限界集落」化の進行を抑えることは困難な状況である。ここで,「限界集落」とは,「過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり,冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のこと 」を意味する。 このように農業人口の流出が進んでいる中山間地では,世帯の減少に伴い,そこに住まう子ども数も,著しく少なくなっている。つまり,「地域の元気力」を牽引する子どもたちの姿が地域から見られなくなってきており,「地域のコミュニティの崩壊」が危惧されている。 このような現状の中で,中山間地の小学校では,中山間地に住まう子どもたちに,「ふるさと」への「愛着」,「ほこり」,そして,地域コミュニティとの「絆」のこころを学び,深めてほしいとの教育目標を掲げて,「地域学習」に取り組んでいる学校がある。たとえ,子どもたちが成長し,「ふるさと」をはなれ,都市に住まうことになったとしても,いつまでも「ふるさと」を忘れず,「絆」を大切にしてもらいたいということが,学校側の期待なのである。そのような取り組みを行っている小学校のひとつに,「静岡市立峰山小学校」がある。 この小学校は,静岡市の北部,安倍川の上流の「葵区黒俣」に位置する,全校児童3名の,「静岡県内で一番小さな学校」である。図1は,この小学校の所在地を示す地図であり,図2は,この小学校のHPに掲載されている「全校児童と先生方」の写真である。以下の概要は,この小学校のHP に掲載されている記事からまとめたものである。 この学校は,明治7(1874)年3月,清沢村相俣学校創立により,通学困難のため,安倍郡清沢村黒俣字峰山の瑞光寺を借用し,分校として発足した。明治25(1892)年4月1日には,相俣学校と分離し,本校となり,清沢村立峰山尋常小学校と称する新学齢に基づき単学級法にならない准教員1名にて授業を始めたとのことである。その後,明治36(1903)年11月24日に,清沢村黒俣字蛇塚小字土休戸に新築移転,昭和16(1941)年4月1日に,清沢村立峰山国民学校となり,昭和22(1947)年3月31日,清沢村立峰山小学校と改称された。そして,昭和47(1972)年4月28日に, 旧清沢中学校峰山分校跡に新校舎が建築,落成式が行われ,現在の場所に設置された。 平成4(1992)年10月24日には,創立百周年を記念して,式典が挙行されている。 現在は,児童数3名(図2の中央)という,この小学校のHPにある通り,「”静岡県内で一番小さな学校”」である。この小学校は,川根町の近くでもあるため,周辺では,お茶の栽培が盛んである。図3は,この小学校のHPに掲載されているものであり,この小学校の児童が描いた「峰山のお茶畑」の様子である。 br> 添付資料:図1から3 |
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参考文献 |
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