登録/更新年月日:2009(平成21)年4月8日 |
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青年学級は、第二次世界大戦後、わが国の産業振興や民主的な文化国家建設に寄与する勤労青年教育を目的に、また、戦後の新憲法下における、教育の機会均等を具現する施策の一環として登場した。 昭和28(1953)年8月、青年学級振興法が施行され、青年学級は「勤労に従事し、又は従事しようとする青年に対し、実際生活に必要な職業又は家事に関する知識及び技能を習得させ、並びにその一般的教養を向上させることを目的として、この法律の定めるところにより市町村が開設する事業」と定められた。なお、同法の成立以前、文部省は、日本青年団体協議会に対して文部省指定研究青年学級を委嘱する際(昭和26(1951)年5月)に、青年学級を「青年学級、勤労青年学級、青年講座、職業教育講座など(略)勤労青少年を対象にして行われる社会教育講座」としている。 端的にいえば、青年学級とは勤労青年のための学習機会ということになるが、そのためにいくつかの要件が求められた。 一つは、社会教育の本旨に沿って、学習者のニーズの尊重と主体的な参画を求めたことである。具体的には、開設・運営に当たって、勤労青年の自主性を尊重し彼らの生活や地域の実情に即応すること(同法第3条)、さらに運営のための運営委員会に学級生代表や青年団体代表等を含めること(「青年学級振興法及びこれに伴う政令、省令等の公布施行について」昭和28(1953)年8月21日、文部事務次官通達)、などが求められた。これを反映するように、青年学級は、勤労青年15人以上のニーズがまとまれば、開設申請(同法第6条)することが可能とされた。 二つ目は、開設主体を市町村とし、実施機関を教育機関としたことである。青年学級は、教育の機会均等の考え方から、開設の場所を広域的なものとせず、青年の居住地である市町村とし、これを開設する市町村が設置する教育機関(公民館または学校)の教育事業として実施すること(同法第5条)を原則とした。 三つ目は、国庫補助を受ける場合の青年学級の具備要件である。要件としては、「学級生が30人以上」、「開設期間が1年以上」、「学習時間数が年間100時間以上」、「学習が継続的に行われること」(同法第18条)などに加え、大学等に2年間以上在籍し62単位以上取得した者や教育職員の免許や社会教育主事等の専門的な資格を有する「青年学級主事」、「青年学級講師(補佐)」を配置すること、などが挙げられた。これらに加え、青年学級振興法という単独法を有していたことなどから、青年学級には、教育事業でありながらも教育機関としての性格が強く期待されていた。 なお、青年学級に類する学習の機会として「勤労青年学校」と「青年教室」がある。 勤労青年学校は昭和38(1963)年度から昭和45(1970)年度まで、国の補助事業として実施された。青年学級が市町村開設であるのに対し、勤労青年学校は、都道府県でも開設できることとし、また主たる対象を18歳未満として、高等学校の補完的機能が重視された。 一方、青年教室は、昭和41(1966)年から委嘱事業(昭和44(1969)年度から補助事業)として登場した。この青年教室は、ときに「小規模型青年学級」と称されたように、その規模が20人以上、学習時間数が20時間以上など、青年学級の要件を満たせない地域等でも、若者の学習機会が確保されるよう考慮されたものである。 br> |
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参考文献 |
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