登録/更新年月日:2008(平成20)年12月24日 |
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【明治期における啓もう団体】 「文明開化」の時期には、物質的な文明の導入以上に、その基底にあって西洋文明を支えている合理的精神・主体性や、それに基づくあたらしい生活習慣の獲得が、知識人にとって大きな国家的課題として意識された。明治前期には、知識人等による啓もう団体が、また明治中期以降になると宗教を基盤とした民間の青年団体、女性団体が、都市部を中心に設立され、啓もう活動を展開した。後に行政によって設立が進められた属性別の地域団体、あるいは教化団体が未発達であった明治期においては、これらの民間の団体が、国民に対する啓もう活動の中で大きな役割を果たしていた。 【明治初期の知識人の交流・啓もう活動】 明治初期には、欧米からの留学帰りの知識人、政治家などを中心として、民衆に西洋思想を啓もうするための団体が叢生した。中でも著名なのは、森有礼、西村茂樹によって1873(明治6)年発起され、翌年正式に結成された明六社である。森、西村の他、福沢諭吉、西周、中村正直らの知識人を集めたこの団体は、知識人同士の「相互の知識の交換」を図るとともに、演説会や機関誌の発行(『明六雑誌』)を通して、民衆への啓もうを行う団体でもあった。この他にも、小野梓、馬場辰猪らによる共存同衆(1874(明治7)年)、河野敏鎌、田口卯吉らによる「嚶鳴社」(1878(明治11)年)、福沢諭吉らを中心、西周らによる交詢社(1879(明治12)年)などが挙げられる。 【民間の青年団体、女性団体】 民間の青年団体の先駆としては、特にキリスト教を土台とする団体が、比較的裕福な都市部の青年を主対象として、啓もう的役割を果たしていた。例えば小崎弘道を中心として1880(明治13)年に設立したプロテスタントを基盤とする東京基督教青年会は、演説会や機関誌『六合雑誌』の刊行等の事業をとおして、会員相互の知識の交換、青年に対する啓もう活動に取り組んだ。この基督教青年会は、次第に活動の規模を広げ、各地に支部を設立していった。また明治20年代には、帝国大学や高等学校、専門学校など各種高等教育機関の学生によるキリスト教系の青年会の設立も見られた。 一方明治10年代後半から20年代にかけて、家庭生活に関する知識を通した交流、啓もうのための民間の女性団体も設立された。これらの活動も、都市部の比較的裕福な階層を主な対象としており、女性の風俗改良、地位・知識の向上を目的としていた。代表的なものとしては、キリスト教系の日本基督教婦人矯風会(1893(明治26)年設立。前身は1886(明治19)年設立の東京婦人矯風会)が、廃娼・廃妓・廃妾を唱えた活動を行い、その動きは全国に波及した。このような女性団体は、後の網羅的な地域団体としての地域婦人会と違い、既婚・未婚女性の区別はなかった。 br> |
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参考文献 ・国立教育研究所『日本近代教育百年史7 社会教育(1)』教育研究振興会、1974年 ・同志社大学人文科学研究所キリスト教社会問題研究会編『日本の近代化とキリスト教』新教出版社、1973年 ・大久保利謙『明六社』講談社、2007年 |
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