登録/更新年月日:2009(平成21)年8月23日 |
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明治43(1910)年10月、フランス映画の探偵大活劇「ジゴマ」が浅草金龍館で封切られ、空前の大人気となるとともに、社会の各層をこの映画の魅力の中に引き入れてしまった。ことにその影響は犯罪行為、児童の危険な遊びに及ぼす影響が顕著になったため、当時の識者、教育者は、映画というものが引き起こす事象に対して厳しい論難を展開することになった。映画と教育はここに対立した形を取って両者相剋の歴史の1ページを記した。 明治44(1911)年、文部省は通俗教育調査委員会を設け、「幻燈映画及び活動写真フィルム審査規定(明治44年10月10日文部省告示第238号)」を定めて、映画の改善、優良な映画の普及を図ろうとする社会教育面でのひとつの方策を、明治45(1912)年から始めた。 大正9(1920)年2月、通俗教育調査委員会を廃して、新たに社会教育調査委員を置き、映画の認定制度を拡張して推薦制度が設けられ、映画の内容を教育的、娯楽的、鑑賞の3部門に分け、成人向、児童向、一般向等に分け、鑑賞対象を指定別(現在の対象別)に「推薦」の制度を始めた。なお、この制度は興行映画を対象として考えられたものであり、申請の有無にかかわらず、社会教育調査委員の審査によって推薦するものであった。初めて推薦を得た作品は、大正10(1921)年2月に輸入された外国映画「ヘレン・ケラー」である。その後、昭和14(1939)年10月までに、501種が推薦されている。 さらに、認定制度は、大正12(1923)年からは、「活動写真フィルム、幻燈映画及蓄音機レコード認定規定」(大正12年改定・文部省令第22号)によって、社会教育の趣旨に適すると認めたものについて行われた。 映画の娯楽的価値と教育的価値が、人びとの生活に大きく影響することが広く認識されてくるようになり、昭和14(1939)年10月、わが国初の文化立法として、「映画法」が制定された。この法律の重点は、映画の質的向上を促し、映画事業の健全な発達を図り、映画を通じて国民文化の進展に資することが目的であったが、映画文化の統制のための色彩が濃く漂ったものになった。 その「映画法」の中の教育文化に関係ある事項は以下の通りであった。 1.一般用映画認定 2.文化映画の認定 3.時事映画の認定 4.優良映画の選奨 5.選定・検定映画。 br> |
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参考文献 ・「審査のしおり(視聴覚教育資料第4集)」 文部省社会教育局視聴覚教育課 昭和29(1954)年 |
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