登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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地域・企業・学校が連携して青少年の発達支援を行うメンタリング運動は生涯学習・生涯発達支援体制に以下のような革新をもたらし、近代以後の学校を中心とする教育制度と発達支援体制の在り方に根本的変革を迫っている。 第一は、生涯学習・生涯教育における統合を理論的実践的に実現しつつあることである。メンタリング・プログラムは,メンターとメンティそれぞれのライフコースにおける異世代間の円環的生涯発達支援、すなわちメンティがメンターから受けた感謝に報いようと自らメンターとなって次世代の支援にあたる生涯学習・生涯教育の垂直的統合を実現している。青少年側のメンターの必要性と,成人側のgenerativity(生殖性、世代継承性)が同時に満たされ、世代を超えたメンタリングの連鎖の還流促進によって、学校制度によって区切られたライフコースが統合的に捉えられるようになる。さらにメンタリング運動はフォーマルな学校教育・インフォーマルな家庭教育・ノンフォーマルな社会教育の相互補完的連携を可能にし、生涯学習・生涯教育の水平的統合を実現している。 メンタリング運動は第二に、地域コミュニティの紐帯促進や社会的資本の増強を図っている。社会的資本とは人的資本と相補的な「家族関係やコミュニティの社会組織に本来的に備わっている資源」であり、「参加者が共有する目標の遂行により効果的に行動することを可能にする、ネットワーク・規範・信頼」を総体として表す概念である。メンタリング・プログラムはメンティとメンターとの関係性という、いわば人工的な社会的資本を創出することによって、社会集団間の社会的資本の不平等をその多寡に決定的な差が生じる青少年期に補充し、その後の生涯発達を保障しようとしている。 メンタリング運動が生涯学習にもたらす革新の第三は、学校を中心とする近代教育を本来の学びに立ち返らせる歴史的重要性である。メンターという言葉を普通名詞や動詞に転換したフェヌロンの『テレマックの冒険』(1699)は『エミール』の教育論の原型の一つとなり、メンタリングが行う一対一の継続的支援はルソーが『エミール』で描いた理想の一端を実現している。学習者中心主義としてのメンタリングは「教育(teaching)」を超えるものと捉えられ、報酬主義に毒された近代学習論の実践的革新として学習者中心主義、社会学習論、正統的周辺参加、「発達の最近接領域」における学びを、学校教育と連携しながら実現している。 メンタリング運動が生涯学習にもたらす革新の第四は、「一人の力」による社会改革、行動的シティズンシップを志向する実践的教育学の提唱にある。「見知らぬ人の親切」に発するメンタリング運動は、従来の正義論とケア論の葛藤を昇華・融合し、社会的不平等への冷笑・放置から共感・改革へ向けた実践行動となっている。自らの文化や価値とは異なる子どものそれを受け入れ共感しながらより高次の視点から適切に導くことが求められているメンターは、失望や落胆、自信喪失に陥りながらもこれらを自らの精神的成長の機会としている。メンタリングは「一人の力」による直接的社会改革の実践となっている。 br> |
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参考文献 ・渡辺かよ子「米英のメンタリング運動と生涯発達支援の革新」日本生涯教育学会年報25、2004年 |
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