登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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「学習社会」論は、1968年に出版されたロバート・M・ハッチンス(Hutchins, Robert Maynard)の著書、『ザ・ラーニング・ソサエティ』(The Learning Society)により登場した。 著者のハッチンス(1899年〜1977年)は、イエール大学ロー・スクール修了後、1929年に30歳の若さでシカゴ大学学長(president、1945年からchancellor)になり1951年までシカゴ大学で大学行政、改革に従事した人物である。20年余にわたるシカゴ大学在任中、ハッチンスは、精力的に学部・大学院の組織改革を行い、特にシカゴ・プランと呼ばれる大学学部改革は過度の専門教育志向と職業志向を排し、教養教育(liberal arts)を重視する画期的なものであったと言われる。『ザ・ラーニング・ソサエティ』は、そのようなハッチンスが晩年に出版した著書であり、彼の学習に対する姿勢や考え方を体系化したものである。教養ある市民からなる社会を志向するハッチンスにとって、市民が自由な時間(余暇)に学習していた古代アテネの社会が、『ザ・ラーニング・ソサエティ』で述べられている学習社会のモデルであった。 ハッチンスの『ザ・ラーニング・ソサエティ』以後、「学習社会」という言葉が社会に広まった契機としては、ユネスコが1971年に設けた「教育開発国際委員会」(International Commission on the Development of Education)報告書「ラーニング・トゥ・ビー」(Learning to Be)(元フランスの首相で文部大臣であった委員長のフォール(Faure, E.)の名前をとって『フォール・レポート』と通称)の中に、「学習社会」の概念が用いられたことにある。フォール・レポートは、「すべての個人は生涯を通じて学習を継続できなければならない。生涯教育の概念は、学習社会の根本原理である」と述べ、学習社会の根底に生涯教育があり、社会と個人の相互過程の中で市民が学習、教育を通じての自己開発を自分の責任で自由に行える社会、それを「学習社会」と捉えた。 学習社会論が登場したのは、1960年代半ばから70年代初めにかけてである。ユネスコのラングラン(Lengrand, P.)が「生涯教育」(Lifelong Learning)に関するワーキング・ペーパーを「成人教育推進国際委員会」に提出したのは1965年12月であった。イリッチ(Illich, I.D.)やフレーレ(Freire,P)などが伝統的な教育制度を批判し、脱学校論などで学歴偏重を是正する学校改革論を論じたのもこの時期である。1960年代後半から70年代初めに生じた、自由時間の増大、所得の拡大、社会変化の速さといった社会背景を受けて、学習社会論は、既存の学校制度を越える教育改革を求める動きに連動し、あらゆる学習資源を活用し、それぞれ個々の人間が自分の持つ能力を最大限まで発達させうる社会の出現を求める「社会的神話」を当時の教育界にもたらした。それは、個々の人間の持つ潜在性の最大限の伸長という教育の営為、その可能性を根拠とし、開かれた自由な学習を保証する未来の教育の理念型のひとつを提示するものであった。 br> |
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参考文献 ・ユネスコ教育開発国際委員会(フォール報告書検討委員会訳)『未来の学習』 第一法規 1975 ・東洋、イリイチ,I(小澤周三訳)『脱学校の社会』 東京創元社 1977 ・新井郁男編『ラーニング・ソサエティ』(現代のエスプリ)No.146 至文堂 1979 ・市川昭午・潮木守一編著『学習社会への道』教育学講座21 学習研究社 1979 ・新井郁男『学習社会論』 第一法規 1982 |
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