登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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学習社会論は、その後異なる文脈で言及されてきたが、エドワーズ(Edwards, R.)の分類に従い、整理すると次の3つになる。 1)教養ある社会としての学習社会 社会参加、デモクラシー、平等への責任を積極的に市民が果たすことを前提に、第二次世界大戦後の社会民主主義的社会政策の一環として、学習社会論が言及された。ここでは、変化に対応し、市民としての権利と義務を行使する成人、そのような成人を育成しうる学習機会の提供が目的とされた。この考えを受け、1960年代から1970年代の先進国の大都市で教養教育が推進された。 2)学習市場としての学習社会 経済競争を後押しする条件として、学習機関が個人の能力開発に対してサービスを提供する。学習サービスが市場を形成するという意味で、市場主義に依拠する学習社会論である。1970年代半ばから、ヨーロッパを中心とする各国政府は、生涯学習を人材開発の手段として経済政策上に位置づけてきた。ここでは、教育・訓練の有効性と達成度を学習の指標とし、個人や雇用者の需要に応じて最新の技能・能力を開発するための学習機会を市場として提供する社会が学習社会であると捉える。1970年代半ばから経済的不確実さに応える形で雇用団体や政策シンクタンクがこの考えを支持した。学習市場としての学習社会論は、1990年代のグローバリゼーションによる国際競争激化、産業構造の転換などから、さらに敷衍した形で、知識経済論(knowledge economy)や学習組織論(learning organization)などの各論に影響を及ぼしている。 3)学習者が学習アプローチを生活に適用している社会 ライフスタイルの実践のために一連の重複する学習ネットワークにより、広範な学習リソースを利用しうる社会である。ギデンス(Giddens, A)によれば、現代社会下でのライフスタイルは、複数の可能な選択肢から個人が選択する実践のセットとして定義される。不慮の出来事、一過性で異質性を強調するポストモダンと関連して言及されるのは、このたび重なる人生上の選択のために、現代社会が常に個人の存在条件として学習を求める性質があるからである。自由民主主義社会、教養ある社会、経済的な競争社会、学習市場などの異なる目的ではあるが、政策上も個人や集団が学習活動へ参加することを推奨する。前述の「教養ある社会としての学習社会」と「学習市場としての学習社会」の二つの考え方の統合された形である。 このように、学習社会論は、社会環境として、あらゆる階層、あらゆる年齢、あらゆる社会の学習資源を活用する開かれた学習機会の提供を社会に求め、学習者には、主体的自律的参加を求める。市民社会形成のための文化的要請、経済競争における人材開発といった経済的要請、ライフスタイルとしての危機や変化に対応した学習欲求の充足といった個人的要請など、そのニーズの主体は異なる。しかし、社会に存在する多様な学習欲求や要請に対応しうる社会を広く学習社会として捉えれば、個人が生涯にわたる学習を志向することが学習社会の前提条件であり、かつ個人が自分の人生設計にそって学習を行うことが学習社会の目標でもある。その意味でも、学習社会という理念型は、生涯学習の根底を支える理論としての意義をいまだ持ち続けている。 br> |
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参考文献 ・Edwards, R. 『Changing Places? Flexibility, lifelong learning and a learning society』 Routledge, 1997 ・アンソニー・ギデンズ(秋吉美都、安藤太郎、筒井敦也訳)『モダニティと自己アイデンティティ』 ハーベスト社 2005年 |
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