生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日
 
 

昭和期のメディアと社会教育 (しょうわきのめでぃあとしゃかいきょういく)

media and adult education in the Showa era
キーワード : 放送メディア、視聴覚メディア、活字メディア、集団学習、個人学習
久井英輔(ひさいえいすけ)
2.戦後初期・高度成長期におけるメディアと社会教育
 
 
 
 
  【放送メディアの動向】
 第二次世界大戦後、社会教育の場に活用しうる放送メディアとして、新たにテレビが登場する。昭和28(1953)年のテレビ放送開始とともに、その存在は個人学習の手段としてだけでなく、集団学習の手段としても注目された。例えば1950年代には、青年学級や婦人学級において、集団視聴をもとにして討論などの共同学習を進めていく形態が試みられている。特に農村部においてテレビ受像機が普及していない時期にあっては、集団視聴を前提とした社会教育の手法は一定の広がりを見せた。しかしその後高度成長期に入ると、急速なテレビ普及、及び地域集団に依拠した学習形態全般の低調化により、むしろテレビ・ラジオなどの放送メディアは、個人学習形態の多様な展開を促すものになってきたといえる。
 昭和34(1959)年にはNHK教育テレビが放送を開始し、その後も教育専門局としてのテレビ局の開局が相次ぐ。これらのテレビ局が提供する教育内容は当初、語学講座をのぞけば学校教育主体であったが、その後の高度成長の進展とともに、技能や産業経済を内容とする講座番組も登場するようになる。
【視聴覚メディアの動向】
 視聴覚メディア利用に関しては、戦後初期社会教育における大きな画期として、連合軍総司令部による民主化教育政策の一環としてのCIE映画と16ミリトーキー映写機(ナトコ映写機)の全国への貸与が挙げられる。昭和23(1948)年以降、CIE映画の上映は都市・農村を問わず全国各地で行われた。この活動は民主化教育としての役割以上に、視聴覚メディアの社会教育利用の機運を加速させたという点で重要な歴史的役割を担っていた。CIE映画の上映活動を運営するために、この時期、各都道府県に視聴覚ライブラリーが設置され、また各都道府県の社会教育担当課に視聴覚教育係が置かれることとなった。これによって、視聴覚メディアによる社会教育事業推進にむけての教育行財政的な裏付けがある程度なされたといえる。
 郡市レベルでの視聴覚ライブラリー設置も特に1960年代に積極的に進められた。ただし、視聴覚ライブラリーの設置数が増大する一方で、その設置場所や予算根拠といった制度的側面においては統一性が欠けており、このことが社会教育施設としての機能の整備を進めていくうえでの問題として議論されるようになった。
【活字メディアの動向】
 この時期の活字メディアについての普及状況をみると、読書行動の階層格差、特に農村部における読書環境の悪さが、当時の調査や社会教育関係者の論説などからなお強く窺える。読書行動の階層格差構造は戦前から大きく変わることなく存続していたのであり、またそのような劣悪な読書行動の階層格差を大きな教育問題・社会問題として捉える傾向も、教育学者の間に強く存在した。
 
 
 
  参考文献
・藤岡英雄『学びのメディアとしての放送−放送利用個人学習の研究−』学文社, 2005年
・日本映画教育教会『視聴覚教育のあゆみ』1978年
・久井英輔「戦後における読書行動と社会階層をめぐる試論的考察」(『生涯学習・社会教育学研究』第29号, 2004年) 
 
 
 
 
 



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