登録/更新年月日:2006(平成18)年10月26日 |
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社会教育指導員が本格的に市町村に設置されるようになったのは、文部省(現文部科学省)が財政的な助成措置を講じた昭和47(1972)年度以降のことである。文部省がこの制度を発足させた背景としては、昭和46(1971)年の社会教育審議会(以下「社教審」)答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育の在り方について」を無視することは出来ない。 その答申において、直截に指導員の設置を指摘しているわけではないが、その中で「日常生活におけるあらゆる学習の場で、潜在的にあるいは一時的になんらかの教育的影響を与える多数の人々を顕在化する必要がある」と指摘して、社会教育の高度化、多様化に対応するため一般教養、消費者教育、家庭教育等の指導内容別の専門的な指導者を養成する必要があるとの考えが、この制度発足に繋がったと思われる。 何故、社教審がこのような指摘をしなければならなかったか。一口で言えば、当時の市町村おける社会教育の指導体制が弱体であったことに尽きよう。つまり、市町村における社会教育主事の設置率が一向に向上しないばかりか、その複数配置も進まず、社会教育主事は一人何役も果たさなければならず、時には「ブチ屋」と揶揄されがちなその専門性を確立するためにも、新たな社会教育指導者が必要であると考えたのであろう。 この社教審がいう地域において潜在化している人材を顕在化する者として、直ちに思い浮かぶのは退職した教職員であろう。 実際、当時の社会教育指導員の任用条件を見ると、(1)健康で活動的であること (2)年齢は65歳未満であること (3)社会教育または学校教育に関する経験を有し、社会教育に関する識見と指導技術を身につけている者であること (4)住民から信頼される者であること などとされており、その要件の多くを満たすのは退職校長などの教職経験者であろう。 事実、この制度発足から5年程経た文部省社会教育課の調査(昭和52(1977)年度)によって社会教育指導員の前職を見ると、教育委員会関係者が全体の71%以上を占め、その中でも小・中・高校の校長、教員が63%にも及んでいる。これから見ても、社会教育指導員として期待されていた人材は、校長等の教職員経験者であったことは明らかであろう。 この制度の発足時、文部省は遠大な計画を立てていた。つまり、人口段階別に1市町村当たりの設置数を考え、最終目標として1万1,466人の配置を構想していた。ところが、実際に実現した補助対象者数はその4分の1程度であった。頓挫した最大の理由は国の財政事情が悪化したことである。 計画の頓挫ならまだしも、今では制度それ自体が廃止された。その要因の一つは、昭和56(1981)年度に発足した第二次臨時行政調査会の指摘であろう。小さな政府を目指したこの調査会は、社会教育行政の面でも様々なインパクトを与えたが、社会教育指導員制度もその一つである。補助制度から一般財源化されたのが平成10(1998)年度のことであるが、今では、地方自冶体の独自の施策として様々な工夫を凝らしながら、制度は生き続けている。 br> |
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参考文献 ・河野重男他『新社会教育事典』第一法規、昭和58年 ・加藤雅晴他『社会教育の展望』学文社、昭和63年 ・『生涯学習概論ハンドブック』国立教育政策研究所社会教育実践研究センター、平成16年 |
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