登録/更新年月日:2007(平成19)年2月19日 |
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現在、時代の趨勢、とりわけ経済不況に煽られた財政難や学校教育の危機的状況それ自体への対応に幻惑された形で、生涯教育(学習)推進の機運は、かなりのトーンダウンを強いられているのではないか。しかも、かねてから危惧されていたことではあるが、関係概念・用語の使用混乱による、ある種の誤解や無理解も、改めて顕著となってきているのではないか。とにかく、現在憂慮されるのは、この間少なくとも、生涯教育(学習)の理念に導かれた、いわゆる「生涯学習体系への移行」が万人の了解事項とされつつも、ある意味ではいつまでたっても、その全体的な姿・形や具体的な到達目標が、政策立案の場あるいは政策実現の現場実践の中で共有され得ていないことである。その最大の失敗は、学校教育の取り込み不足にあると思われるが、それ故に、やはりそこには、改めて学校教育(改革)をも包摂した、新たなる生涯教育(学習)施策・研究の基軸と枠組みが求められることは言うまでもない。ちなみに、これまでの「生涯教育(学習)」施策・論議においては、基本的なスタンスとして、「(子どもの)教育」と「(成人の)学習(支援)」が半ば分断されるとともに、一方でジャーナリスティックな「生涯学習ブーム」により、(成人の)学習(支援)への社会的要請とか期待が、大きく膨らまされてきた。また、思想的・言論的にも、「教育」という視点や発想がその埒外に置かれてきた。「生涯教育」さらには「社会教育」が、「生涯学習」と呼び換えられてきたという事実は、そのことを端的に物語っている。 そもそも、これまでの我が国における「生涯教育(学習)」の推進とは、一体何だったのか。全体的にみれば、その「間口の広さ」は否定しようもないが、従来の学校教育や社会教育の枠組みを、一応は大きく変えようとした取り組みであったことは言うまでもない。しかし、問題として、結果としてのその「間口の広さ」にも起因するが、それぞれの関係分野・領域が、かなり分離・独立的にそれらに対処してきたということ、一方でまた、一部の新しい分野・領域に、個別政策的にはそれが特化されてきたということが、改めて指摘され得る。それがまた、「教育」と「学習」の分断的進行を招いたとも言えよう。例えば、前者が「社会教育」、後者が「生涯学習」といった具合である。そこで、今後の生涯教育(学習)研究においては、改めて、生涯教育(学習)研究のアイデンティティを明確にすることである。具体的には、そこでの共通の基盤としての「統合」integration へのコミットメントがどこにあるのか、そしてそれが、いわゆる「タテの統合」、「ヨコの統合」、そのための「制度化」にいかに関わるのか等、政策立案や事業・活動の現場に問わなくてはならないということである。その中で、生涯教育、生涯学習、社会教育・生涯学習、社会教育、地域教育、学社連携、学社融合等の概念・定義・用語等の精緻化や、学校教育を含めた「統合」integration への知的集積をいかに行うかである。 br> |
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参考文献 ・井上講四「求められる生涯教育(学習)施策の新たなる基軸と枠組み」『日本生涯教育学会年報』(第27号)、日本生涯教育学会、2006年、pp.3〜10 ・井上講四『教育の複合的復権』学文社、2001年 ・井上講四『生涯学習体系構築のヴィジョン』学文社、1998年 |
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