生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2008(平成20)年12月4日
 
 

答志島の寝屋子制度 (とうしじまのねやこせいど)

lodgings of the youth in Toushi Island
キーワード : 若者組、若者宿、地域の教育力、発達支援、ソーシャル・キャピタル
内山淳子(うちやまじゅんこ)
2.答志地区の寝屋子制度の変遷
 
 
 
 
  【旧来の寝屋子制度の社会教育機能】
 旧来の寝屋子の日常的な機能は漁師養成と婚姻統制にあった。答志は離島で土地が限られているために分家をせず、長男は中学を卒業したのち島に残って寝屋子に入り、次・三男は主に職人として鳥羽・名古屋方面へ働きに出た。寝屋子たちは夕食後に寝屋に集まって漁の話や網の補修などの共同作業をした。アネラ(娘)たちが出稼ぎから戻る冬季半年間は夜間に雑談をして回り、寝屋に帰って翌朝実家に戻り家業の漁に出た。
 寝屋子制度には成文化された条目は存在しない。元来、答志の寝屋子は遊び宿ではなく教育的作用の強い宿だった。寝屋親は実の親よりも権限をもち、寝屋子を監督して礼儀や躾を厳しく行い寝屋子たちは素直に従った。地域での役割は海難救助、夜警、フナオロシ、建て前、葬送、神祭や天王祭の準備執行があった。妻帯もしくは25歳を機に寝屋には泊まらなくなる。しかし、その後も生涯、寝屋親や朋輩と付き合い、さらに2・3組の異年齢の朋輩同士が合同で朋友会を結成して、冠婚葬祭の互助機能となる。今日まで住民は寝屋子と朋友会による深いつながりをもっている。
【現代の答志島の寝屋子制度】
 平成20(2008)年現在、答志地区には16歳から26歳までの学年ごとに10軒の寝屋子が存在する。しかし、最高時には1学年20人以上あった寝屋子(青年)の人数は1軒あたり4-5人となり、高校卒業後の離島者も増えている。したがって、寝屋子制度の社会教育機能は、@少子化の進展、A昭和40年代後半以降、島外で中等・高等教育を受ける者の多数化、B漁師以外の職業に就く若者の増加、C島外女性との結婚の増加により、以下のような変容が見られる。
 現代の寝屋子制度は、旧来の寝屋子制度の機能とされた漁師養成、婚姻統制に替えて、当地域における円環的な発達支援としての機能をもつ。寝屋子の世話をする寝屋親は自身も寝屋子制度の恩恵を受けてきたために、青年たちの成長を見守る意義と責任を感じており、寝屋子の生涯にわたる相談先(メンター)となる。寝屋子たちは離島者も帰省時には必ず寝屋に集まる。今も寝屋子制度は住民の精神的居場所であると共に、地域の教育力の基盤となっている。
【寝屋子制度存続の背景となる地域文化の継承】
 答志地区では海上の安全と豊漁を祈る伝統的祭祀「神祭」が継続して行われている。その中では青年たちが重要な役割を務め、この伝統は現在も変っていない。
 神祭では、主役として弓を射る「お的衆」を青壮年の既婚者が、清めの露払い役である「七人使い」と三番叟、奉納歌舞伎を青年たちが行い、連日の舞台進行も青年団が担当してきた。地域の人々は青年が団結して祭りを盛り上げることを望み、青年も伝統文化を誇りに感じている。
 若者宿が消滅した他地域には、祭祀の中心を長老が司った地域(国崎)や、頭屋制であった地域(桃取)がある。一方、若者宿が存続してきた答志地区では若者が祭祀の実行を担ったことが若者宿存続の背景として考えられる。すなわち、地域において青年の活躍が期待される伝統文化の保持と、寝屋子制度の存続は相互的である。
 
 
 
  参考文献
・佐藤守  『近代日本青年集団史研究』 御茶の水書房、昭和45(1970)年 
・内山淳子 「地域社会における円環的発達支援−答志島寝屋子制度の変容と存続−」 日本生涯教育学会論集29、平成20(2008)年
 
 
 
 
 



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