登録/更新年月日:2008(平成20)年12月30日 |
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【秋田県大潟村とは】 秋田県大潟村は、第二次世界大戦後の食糧不足の解決と八郎潟湖岸地域の水害防止のため、当時日本第二の湖であった八郎潟を干拓し、その湖底に昭和39(1964)年に誕生した村である。大規模機械化農業を実践するモデル農村をめざし、国により村の基盤がつくられ、そして昭和42(1967)年から49(1974)年までのべ5回、全国から計580名とその家族が大潟村に入植した。このように大潟村は、国が農業と生活の基盤が整え、国とともに村づくりが進められており、他の自治体にはない特異な歴史をもっている。平成20(2008)年現在、入植者の半数以上は後継者に農業経営を移譲しており、また村内の小中学生は入植者世代から数えて第3世代に相当し、世代交代が急速に進んでいる。 【秋田県大潟村の地域的課題とその解決手法】 大潟村は、八郎潟干拓事業や村建設・村立の意義と村の歴史を後世に伝えるため、大潟村干拓博物館(以下、干拓博物館)を建設した。平成12(2000)年4月の開館後、干拓博物館では「大潟村 総合的な学習のマニュアル」を製作し、周辺自治体の小・中学校に配布を行うとともに、主に入植者をメンバーとする大潟村案内ボランティア(以下、案内ボランティア)の養成と活動支援を行い、来館者に対するガイド案内・学習支援システムを構築した。これらの取り組みは一定の成果を収めたが、村内の児童生徒に対して村の歴史を伝えることは一部の授業など限定的であり、後継者等の地域住民に対して歴史を伝えることも、博物館講座の参加者に限られていた。その一方で、主に入植者世代の村民は八郎潟干拓と大潟村の歴史の次世代へ継承するため、具体的な取り組みの必要性を強く訴えていた。 村内唯一の中学校である大潟中学校は、様々な教科で地域住民が指導者として学習支援を行っており、教育の大きな特色となっている。しかし村の歴史については、地域住民にスポット的に講師をお願いする形が多かった。また生徒の中には、自分の祖父母がどこから入植したのか分からない生徒もいた。さらに大潟村には高校がなく、卒業すると生徒は散らばってしまう。大潟中学校では、生徒が地域を理解し誇りを持つためにも、地域住民との関わりの中で村の歴史を学ぶ授業の展開が地域の特色を生かした学習活動になるのではないかと考えていた。 このように大潟村では、干拓博物館・地域住民・中学校が「八郎潟干拓と大潟村の歴史を伝える」という課題をそれぞれの立場で認識しているにもかかわらず、その課題を解決する具体的な企画立案と実践が行われていない状況であった。そこで干拓博物館ではこの課題の解決のため、豊富にある収蔵資料を活用し、地域住民とともに村の歴史を伝える具体的手法を検討した。そして文化庁の支援を得て、「地域の歴史に親しみ、理解し、継承していく」という観点に立ち、平成18(2006)年度から中学校・地域住民・博物館が開発のプロセスを共有する「学社融合」の形で教材開発を開始した。 br> |
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参考文献 ・薄井伯征「学社融合による地域の歴史を後世に伝える教育教材の開発と生涯学習支援上の課題−『大潟村歴史かるた』づくりを通して−」秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要、第29号、2007年 ・薄井伯征「秋田県大潟村における学社融合の実践に関する一考察」日本生涯教育学会論集・29、2008年 |
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