登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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大正9(1920)年5月、文部省は各地方長官宛に「社会教育担当の主任吏員すなわち社会教育主事を特に任命するよう」通牒(文部省『学制百年史』帝国行政学会、昭和47年、528頁)を発している。5年後の大正14(1925)年には、都道府県に「社会教育主事専任60人以内と社会教育主事補専任110人以内を置く」(前掲『同書』529頁)までに整備されている。これが「社会教育主事」の登場とみられるが、これを今日の社会教育主事制度と直結させることには難がある。なぜなら、大正時代の社会教育主事の役割は国民教化に主眼に置かれていたのに対し、いまの社会教育主事は求めに応じて助言・指導することを本分とし、権力的な指示・命令の思想を排除しているからである。 社会教育の推進体制は、太平洋戦争後の民主主義体制への移行と連動して整備されていく。社会教育主事は、昭和22(1947)年、地方自治法施行規程の改正の折、同法第18条で都道府県に置かれる職員に位置付けられ、翌年の教育委員会法に引き継がれた。しかし、昭和24(1949)年に制定された社会教育法には、社会教育主事に関する条項が盛り込まれなかった。それでも、やや正確さを欠くという前提ながら、昭和25(1950)年には、都道府県の本庁に393名、出張所に345名の社会教育主事が、市町村に644名の社会教育主事が配置されていたという記録(国立教育研究所『日本近代教育史8社会教育(2)』昭和49(1974)年、781、782頁)もあり、この時点ですでに、社会教育主事制度の整備は重要な行政上の課題となっていたと思われる。このため昭和26(1951)年、社会教育法は、社会教育主事及び社会教育主事補に関する「第二章」を追加して、その設置、職務、資格、講習について規定した。一方、教育公務員特例法も改正され、社会教育主事は指導主事と並び「専門的教育職員」に位置付けられた。これに伴い、社会教育主事の資質を担保する必要が生じ、同年には、社会教育主事講習規定も公布さている。 なお、昭和26(1951)年の改正社会教育法は、社会教育主事の設置を、都道府県教育委員会には義務化したものの、市町村教育委員会に対しては任意とした。市町村教育委員会に対しても社会教育主事の設置が義務化―実際には猶予期間などの経過措置が設けられている―されたのは、昭和34(1959)年の法改正時においてのことである。ここに至って、社会教育主事制度が確立する。 社会教育主事の設置数は、市町村の義務化直前の昭和34(1959)年に1、174人、義務化直後の昭和35(1960)年に1,353人(文部省『わが国の社会教育』帝国行政学会、昭和40年、166頁)であったが、指導体制の充実のために導入された、派遣社会教育主事給与費補助制度がスタートした昭和49(1974)年以降純増し、平成8(1996)年に最高値の7、332人に達している。しかし、平成10(1998)年、同制度は、すでに各道府県の事業として定着していること、国の地方に対する人件費補助について見直しが図られたことなどを理由に、個別事業に対する助成から地方交付税措置いわゆる地方公共団体の一般財源と化した。その後、社会教育主事の設置数は減少傾向に入り、平成14(2002)年度には5、383人となり、20年前の水準にまで後退している。 br> |
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参考文献 |
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