登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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公民館は、市町村のほか、民法第34条の規定に該当する法人が設置できる。しかしその設置数は市町村等の設置する施設が大多数を占め、 平成14(2002)年10月現在、全公民館数17、947館のうち、法人が設置する施設数は11館に過ぎない(文部科学省『平成14年度社会教育調査報告書』)。 公民館が公式にはじめて明らかにされたのは、昭和21(1946)年の文部次官通牒「公民館の設置について」によってである。その後、昭和22(1947)年1月に社会教育局長から発せられた「新憲法公布記念公民館設置奨励について」(『近代日本教育制度資料第27巻』215頁、講談社)により公民館の設置機運が高まり、社会教育法公布前の昭和22(1947)年8月31日時点で、すでに公民館設置数は1、971町村(設置率19.76%)、設置予定の1、563町村を加えると3、534町村(設置率35.4%)にも達している(『前掲同書』221頁)。社会教育法制定直後の昭和25(1950)年には公民館の運営費補助が、翌年からは施設費補助の道が開かれ、公民館の設置がいっそう促進された。この結果、公民館の設置数は、昭和27(1952)年には28、659館、昭和30(1955)年には史上最高の35、343館に達している(文部省『学制百年史』966頁、帝国地方行政学会、昭和47年)。 誕生直後の公民館は、職員はもとより施設・設備も不十分なまま出発し、活動のみを重視したり学校や役場などの一隅に間借りする、いわゆる青空公民館や看板公民館が少なくなかった。これを裏付けるように、さきの学制百年史によると、昭和25年には半数が施設を有していなかったということである(前掲『同書』782頁)。その後の市町村合併、教育機関としての機能の重視等により、分館の統廃合、青空公民館や看板公民館の廃止が進み、施設数は減少傾向に向い、昭和43(1968)年には最低数の13、785館まで減少した。しかしその後、再び公民館の設置数は漸増時期に入り、今日に至っている。 昭和34(1959)年には、公民館に関する行政指導の指針ともいうべき「公民館の設置及び運営に関する基準」が告示された。ここに、対象区域は、「町村にあっては小学校の通学区域」、「市にあっては中学校の通学区域より狭い区域」、が望ましいとの考え方が示された。以後、この基準を目標に公民館が設置・運営されてきたが、同基準は平成15(2003)年に大綱化、弾力化の観点から見直され大幅改訂され、対象区域は人口密度、地形、交通条件、社会教育関係団体の活動等を勘案して、市町村が定めることに改められた。 なお、「公民館に類似する施設は、何人もこれを設置することができる。」(社会教育法第42条)ため、近年、首長部局主管のコミュニティ施設、教育委員会主管の生涯学習センターに加え、民間のカルチャーセンターも増加する傾向にあり、公民館の設置数は頭打ちの状況にある。また、国費による施設整備費補助は平成10(1998)年以降廃止され、かつ、平成15(2003)年に改訂された公民館の設置・運営基準により、公民館の施設、設備、職員、運営審議会、分館等のあり様はすべからく市町村の判断に委ねられることとなった。ここに、公民館に対する市町村の考え方・価値観が、公民館の命運を握ることになった。 br> |
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参考文献 |
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