生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2015(平成27)年6月21日
 
 

伊賀市比自岐地区における住民自治としての公民館活動 (いがしひじきちくにおけるじゅうみんじちとしてのこうみんかんかつどう)

キーワード : 公民館、住民自治、協働、地域活性化、市町村合併
内山淳子(うちやまじゅんこ)
1.市町村合併による住民自治の制度化
  
 
 
 
  1.伊賀市における住民自治のまちづくり政策
 平成の大合併により、全国の市町村数は平成11(1999)年の約3200から平成25(2013)年には約1700に減少した。伊賀市は平成16(2004)年11月に上野市と阿山郡伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村、名賀郡青山町の5町村が新設合併して誕生した新市である。発足時に ‘ひとが輝く 地域が輝く’自治のまちづくりを掲げた「市民憲章」と「自治基本条例」を制定して、市民参加によるまちづくりを進めている。
 合併によって広域になった自治体の中を分割し、小さな範囲に権威を委譲して地域運営を行なおうとすることを「自治体内分権」(「都市内分権」)という。自治体内分権の例には、2004年の地方自治法に則って新たな「地域自治区」を設置した飯田市・豊田市などがあるが、伊賀市は独自の条例を制定して自治体内分権を推進している例である。
 伊賀市自治基本条例は、「補完性の原則」を中心理念として住民による「協働」のまちづくりの必要性を明記し、計画時の連合自治会区に相当する小学校区に「住民自治協議会」を自主発足させて自治体内分権の主体組織とした。
 住民自治協議会の事務局は、旧上野市内では市民センター兼公民館分館に置かれている。伊賀市南部の旧上野市にある比自岐公民館は、比自岐地区住民自治協議会の母体となっている。比自岐公民館は伊賀市公民館条例第2条に基づく伊賀市上野公民館の分館であり、社会教育法では第21条3項の市町村が設置する公民館分館に位置づけられる。平成27(2015)年現在、伊賀市には、中央公民館と6地区館、27分館が存在している。

2.比自岐地区の概要
 比自岐地区は鈴鹿山系南部、木津川上流域の丘陵地帯に位置し、農業を主産業とする地域である。比自岐地区の成り立ちは、明治22(1889)年の町村制において比自岐・摺見・岡波の自然村の合併によって比自岐村となり、昭和30(1955)年に比自岐村が旧上野市に合併して現在に至る。比自岐・摺見・岡波の3自治会区は連合自治会区として小学校区としての「比自岐地区」を構成している。ただし、明治9(1876)年開校の比自岐小学校は児童数の減少のため平成20(2008)年度以降休校し、地区内の小学校児童は依那古小学校へスクールバスで集団登下校をしている。
 集落は公共鉄道や幹線道路から奥まった場所にあることから字(あざ)としての独立性が高い。中心産業の稲作は、一帯の地盤が古琵琶湖の泥炭層であるために農作業は手間取るが良質の伊賀米が生産される。農業用水路が整った昭和48(1973)年のほ場整備完了と滝川ダムの建設までは農業用の「ため池」を作る必要があり、住民は長年生活課題である治水・灌漑の共同作業を行ってきた。元来地域の紐帯(ソーシャルキャピタル)の強い地域である。
 平成26(2014)年4月現在の比自岐地区の人口は535人、世帯数185件と、伊賀市の住民自治協議会の人口規模としては小さい。高齢化が進み、2014年9月には高齢化率45.2%となっている。そのため地区では水田の管理方法として、農家組合が中心となって集落営農を組織し、平成24(2012)年には「ひじきファーム」として法人化した。比自岐地区では長らく続く共同作業や公民館活動を中心として、合併前から住民主体の積極的な地域づくりが進められてきた。
 
 
 
  参考文献
・内山淳子「住民自治の進展における『参加』と『協働』−伊賀市公民館活動の歴史的考察」佛教大学教育学部学会紀要13号、89—103頁、2014年
 
 
 
 
  



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