登録/更新年月日:2006(平成18)年10月31日 |
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アメリカ文化に対するヨーロッパ文化の代表を標榜するフランスは、GATTでも文化産業に対する「文化的例外」を主張したり、ユネスコ「文化的表現の多様性の保護と促進に関する条約(文化多様性条約)」を推進するなど、文化国家として文化に対する配慮を示すことで、世界におけるフランスの存在をアピールすることに傾注している。 フランス文化省は、文化政策を中心的に担う組織として1959年設立され、初代文化大臣には、『人間の条件』『王道』などを著したことでも著名なアンドレ・マルローが任命された。フランス文化政策の基本理念は、文化大臣の職務を規定するデクレ(政令)に示されている。それを要約すると、「国民のフランスの育んだ傑作へのアクセスの推進」「文化的遺産の保護・活用」「芸術創造の推進」「芸術教育」「地域文化政策との連携」「文化産業振興」「国際文化交流」などが掲げられている。フランスにおいて、このように国や地方自治体が積極的に文化に関わる状態のことは、「文化への公的関与(intervention publique a la culture)」といわれ、その是非を問う論議も盛んに行われている。 2005年の文化省予算は、約28億ユーロ(約4200億円、1ユーロ150円として)であり、国家予算全体の約1パーセントを占める。文化に対する国の姿勢をみるという意味で、文化予算の範囲が若干異なるものの、我が国のそれが1016億円であり、国家予算全体(82兆1829億円)の0.1パーセント、人口はフランスの約2倍であることを勘案すると、フランスが文化政策をいかに重要視しているかが理解できよう。 このような文化分野に対する大規模な予算投入による文化政策の大規模化が始まったのは、1980年代中頃からであり、その背景のひとつには、当時の大統領ミッテランのイニシアティブによる「グラン・プロジェ」の存在がある。グラン・プロジェは、大規模な文化機関の建設を複数ともない、そのための予算が文化予算として計上されたため、文化予算が膨れ上がった。また、これらの予算投入を支持するスローガンとして、時の文化大臣ジャック・ラングは「文化の民主化」を掲げ、全ての領域が文化であるとして、文化の概念それ自体を拡大化させた。これにより、一層文化分野への支出が容易となった訳であるが、この時期を端緒として文化予算は拡大され続け現在に至っている。 このように、大規模な文化に対する公的関与が可能であるのは、歴史的にフランス革命以前から君主による文芸庇護・メセナの伝統があり、フランス革命以後もその時々の権力によって傾向の差異や介入の度合いの違いは存在するものの、基本的には芸術に対する公的な関与が続けられてきたということがある。 br> |
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参考文献 ・文化・通信大臣の職務を定めるデクレ(Decret n° 2002-898 du 15 mai 2002, Decret relatif aux attributions du ministre de la culture et de la communication) ・フランス文化省ホームページ http://www.culture.gouv.fr/ |
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