生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年10月26日
 
 

大学と地域社会 (だいがくとちいきしゃかい)

interaction between universities and community
キーワード : コミュニティ、大学開放、自己組織性、イメージ共有、地域アイデンティティ
田中美子(たなかよしこ)
1.日本の大学システムの発展と経緯
  
 
 
 
  まず、「大学」の歴史的経緯を概観したい。
1)戦前期から戦後の新生大学の設立
 戦前の高等教育は、国民の数%しか受けられない、極めてエリート色が強かったが、徐々に普及し、大正7(1918)年、政府は大学令を交付して公私立大学の設立を認め、それに伴って帝国大学以外の官立設置も始めた(例えば一橋大学の前身校である東京高等商業学校は東京商科大学になり(大正9(1920)年)、東京工業大学の前身校、東京高等商業学校が現在の名称になった(昭和4(1929)年)。早稲田、慶応義塾、同志社、中央、明治等の私学が「大学」として扱われるようになったのもこの時期である。大正期から昭和初期にかけ大学数の急増に伴い、大学生の数も増え、同時に、戦後の受験戦争問題も戦前期に顕在化したのも忘れてはならない事実である。
2)大学の大衆化
 日本の大学教育は、昭和30年代半ばからの高度経済成長期に急速に拡大した。例えば大学・短大進学率は昭和35(1960)年は10.3%であったが、昭和38(1963)年には米国の社会学者マーチン・トロウがいうマス型高等教育の入り口である15%を超え、昭和51(1976)年には38.6%まで急進した。この急激な大学進学率の伸びは、第一に学校教育システムの単線化、第二に経済成長による家計の所得の伸びにより大学進学が容易になったこと、第三に国民に浸透した平等概念等が考えられる。
 この急激な大学教育の大衆化は、戦前のようなエリート集団とは異なる学生とは異なる学生と古い価値観をもつ大学教員の衝突が、昭和40年代半ばに全国で大学紛争の嵐が襲った。紛争そのものはやがて収束に向かうが、大学改革の必要性は人々に深く認識された。
3)90年代の大学改革     
 平成3(1991)年文部省(現文部科学省)の大学審議会の答申では、第一に大学の教育課程の弾力化すなわち専門教育と一般教育の区分の廃止を含め、大学を規制してきた「大学設置基準」の大綱化、第二に大学の自己点検・評価制度の導入であった。前者は多様化する大学教育の実態に合わせて各大学が特色ある発展を図れるよう、裁量の余地を高め、後者は大衆化する大学教育の中で社会のニーズを踏まえた教育を行っているか、またその教育水準が適切であるか、説明責任(アカウンタビリティ)を果たすためのものである。
 その結果、多くの国立総合大学では「教養部」は殆どが姿を消し、自己点検・評価が新規予算請求のための必要条件と考えられ、ほぼすべての大学では分厚い報告書を刊行、
これが平成10(1998)年の大学審議会の「第三者制度」の提言につながり、平成15(2003)年の認証評価制度に結びつくことになる。このような経緯で、すべての大学が、政府から認証された評価機関による評価を定期的に受けることが義務付けられたのである。
4)地域社会と大学の関係性の変容
 大学という高等教育機関は、かつてはある特定地域に立地する「象牙の塔」であり、研究者・大学人たちは、講義をし、自らの研究を進めることに専念しいればよかった。しかしながら、出生率の低下による18歳人口の激減、そして必然的な人口減少社会に直面している。統計的には入学定員と志願者がほぼ同様になり、選ばなければどの大学にも入れる、大学全入時代に直面している。大学は生き残りをかけて「自己点検・評価」に注力し、「選ばれた」存在にならなければならず、地域社会との関係も変容せざるを得ない。

 
 
 
  参考文献
・田中美子「社会教育の政策立案にマネジメントの視点を−『自己実現型』から『社会還元型』学習への自己組織的スパイラル−」社会教育、60巻・7号、2005.
・田中美子「地域活性化のための生涯学習政策の在り方−自己組織性の視角から−」千葉商大論叢42巻・3号、2004.
 
 
 
 
  



『生涯学習研究e事典』の使用にあたっては、必ず使用許諾条件をご参照ください。
<トップページへ戻る
 
       
Copyright(c)2005,日本生涯教育学会.Allrights reserved.