登録/更新年月日:2006(平成18)年12月13日 |
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ポール・ラングランの『生涯教育入門』や臨時教育審議会答申等を引き合いに出すまでもなく、社会の加速度的変化、とりわけ科学・技術の発展は、人々に新たな知識・技能への対応を迫っている。例えば、競争力の維持・向上という産業界の要請は、専門的で高度な知識・技能を学校教育終了後も習得し続けるという意味での生涯学習の推進を促す要因となっている。しかしそれは問題の一側面にすぎない。当該領域の専門家ではない一般市民(非専門家)と科学・技術とのインターフェースのあり方を再考することもまた時代の要請となっている。 1985年に英国ロイヤル・アカデミーが発表したPublic Understanding of Scienceと題するレポートでは、一般市民の多くは科学リテラシー(科学・技術の基礎知識および理解力)が不足しているという危機感が表明されている。これは英国だけではなく、日本も共有する課題である。では、なぜ一般市民の科学リテラシー不足が問題なのか。研究者および科学技術立国を目指す意思決定者からすると、必ずしも正確ではない情報に基づく“感情的な否定論”が研究活動の足枷ともなりかねない状況が現出しており、一般市民が正しい知識を得ることにより、科学・技術の振興に関する国民的合意という名の“理解の増進”を促すことが緊要の課題となっているからである。企業等によっては、パブリック・アクセプタンス(Public Acceptance、社会的受容性)のための活動を積極的に展開している例もある。 一般市民と科学・技術との関係は、20世紀後半にはじめて問題化したわけではない。大正・昭和初期の生活改善運動においては“生活の科学化”が唱えられ、公的領域と私的領域とにおける科学知識の浸透度のギャップを埋めることが喧伝されていた。当時も現在も共通するのは、“無知な一般市民”に対して正しい知識を与えなければならないという問題意識である。一方、このような啓蒙主義的見解に対して、大学等の研究機関で新しく生みだされ提供される知識を一般市民は一方的にただ受け入れるだけで良いのかという批判の声も挙がっている。正しい知識が当該科学・技術の受容に直結するかどうかは明らかでなく、知識の正否よりもむしろ価値観の問題であるとも考えられる。また、そもそも専門家の間ですら見解が統一されていない論争的課題(Controversial Issues)にあっては、一般市民はどのように対応すればよいのだろうか。 経済協力開発機構(OECD)が1997年に発表したレポートPromoting Public Understanding of Science and Technologyでは、一般市民が科学・技術に対する自己の見解を表明し議論する義務と権利が述べられている。“科学を一般市民が理解すること”とは、科学・技術に関する最新知識を得ることや既存の政策に合意することを指すのではなく、情報を批判的に読み取りながら、個人さらには集団の意思決定へ影響を与える営みとして捉えられるべき概念である。このような“情報を与えられた上での意思決定”(Informed Decision)の態度を養うことこそが、単なる普及啓発や啓蒙ではない“教育”の姿であり、科学・技術をめぐっての一般市民による生涯学習は、この観点からの検討が望まれる。 br> |
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参考文献 ・山本珠美「科学・技術と生涯学習」 鈴木眞理・小川誠子編著『生涯学習をとりまく社会環境』学文社、2003年、pp.141-152 |
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