生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2008(平成20)年12月24日
 
 

明治期における民間の学習活動 (めいじきにおけるみんかんのがくしゅうかつどう)

private activities of learning in the Meiji Era
キーワード : 啓もう、自由民権運動、夜学会、青年会、キリスト教
久井英輔(ひさいえいすけ)
3.青年会と夜学会
  
 
 
 
  【明治期農村における初等教育と若者集団】
 近代国家の基礎である国民皆学は、まず初等教育の全国的普及を必要とした。しかし、公教育制度の整備途上にあった明治期においては実際には、家業への従事、困窮、子の就学に対する親の理解の低さ、通学の物理的な困難、など様々な理由により、正規の初等教育を受けない/受けられない者が多かった。
 このような初等教育機会の大きな不備を補う制度、実践として、明治期には「夜学」が様々な形態で行われていた。その中には、公的に設置されたものだけでなく、近世から続く農村の若者集団の活動を土台に自発的に形成され、小学校を卒業した若者によって運営される例も各地に見られた。
【夜学会の動向】
 農村部の青年による自発的な夜学会は、明治初期から行われてきた。夜学会は今日的な学習機会保障の観点から見るならば、教育制度が整わない状況下での不十分な学習機会、と見なされるものでもあるが、他面で、若者集団の中で伝統的に行われてきた「弊風」とされる習慣(特に性行動に関わる習慣)の打破に批判的な青年たちが、自らそれらを抑制するという意味をも持っていた。また、農作業を行う昼間の時間帯をさけて学習活動が行われることで、生産活動を阻害しない形で展開される学習形態ともなっていた。 
 青年による夜学会は特に明治後期、各地で多く成立した。これは、教育の必要性が農村青年の意識にも普及していく過程の反映であった。また、日清戦争(1894〜1895年)・日露戦争(1904〜1905年)における青年の銃後活動が注目され、夜学会を含む青年会の活動が国家的観点から重視されるようになってきたことも、夜学会の設置が政策的に後押しされ、その数が飛躍的に拡大する背景になっていた。
【青年教育の制度化と夜学会】
 当初は自発的な活動が中心となり、農業知識や社会常識の学習が中心となっていた夜学会も、日露戦争以降に行政による青年会の組織化・統制が強まり、民間の学習活動という色彩が薄まるとともに、軍事教育や愛国教育に重きが置かれるようになっていく。その後、夜学会は、初等教育を補完する実業補習学校が制度化・普及するにつれ、次第にその役割を終えていくこととなる。

 
 
 
  参考文献
・岩田重則『ムラの若者・くにの若者 −民俗と国民統合−』未来社、1996年
・上田利男『増補普及版 夜学 −こころ揺さぶる「学び」の系譜−』人間の科学新社、2004年
 
 
 
 
  



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