生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2008(平成20)年2月5日
 
 

広島市青少年メンター制度とメンタリング運動 (ひろしましせいしょうねんめんたーせいどとめんたりんぐうんどう)

キーワード : メンタリング、メンタリング・プログラム、メンター制度、青少年、メンタリング運動
渡辺かよ子(わたなべかよこ)
1.広島市青少年メンター制度の誕生
  
 
 
 
   近年、米英を中心に世界各国において青少年支援に向けたメンタリング運動が拡大している。メンタリング運動が未成熟な日本において、本格的な青少年向けメンタリング・プログラムの先駆的実践事例となっているのが、広島市青少年メンター制度である。
 広島市青少年メンター制度は、平成15(2003)年2月に秋葉忠利市長(1942-)の発案によって導入された。広島市の関係者によれば、市長以外、「メンター」や「メンター制」、「メンタリング」という言葉そのものが、未知の用語であったという。秋葉市長によるメンター制度導入の起点は、市長の数学者としての在米経験にあった。
 秋葉市長の経歴は以下のとおりである。東京大学卒業後に渡米し、昭和45(1970)年にマサチューセッツ工科大学(MIT)よりPh.D.取得、ニューヨーク市立大学、タフツ大学、広島修道大学で教鞭をとった後、衆議院議員(1990-1999)を経て、平成11(1999)年2月に広島市長に選出され、現在第3期目となっている。秋葉市長がすごした1960年代末から1980年代は、米国のメンタリング運動史から見ると、百年の伝統を持つBBBSを中心に各地の草の根プログラムによる萌芽的運動が開始されつつあった時期であった。
 メンター制度導入の経緯は市長によって以下のような説明がなされている。「私は、アメリカに20年近く住んでいましたが、アメリカ社会の中で、このメンター制度は大変定着している制度だと思いました。その発端は、ビックブラザー(お兄さん)、ビッグシスター(お姉さん)と呼ばれる若者が、子どもたちと交流し、子どもたちとより良い関係をつくり、子どもたちの成長の一助になったことにあります。もともとは、社会の多様化にともなって親一人で子どもを育てたり、兄弟がいないといったケースに、お兄さん、お姉さんの代わりの若者が支援し新しい環境をつくることによって、その家族という枠組みの中では、できないような経験をしてもらうところから始まっています。…その後、メンター制度は、核家族化など家族の形態が変わってくる中で、社会全体で子どもたちを大切にしていこうという様々な制度の一部として、より広い意味をもつようになってきています。」当時のシアトル市長ポール・シェルによる市内のすべての子どもにメンターを配置しようとする試みに感動した秋葉市長は、第二期選挙公約にメンター制度導入を掲げた。
 平成15(2003)年2月の第二期所信表明演説で明示されたメンター制度は、平成15(2003)年度の第一次試行に移され、実現に向けた慎重な第一歩が踏み出された。同年、広島市メンター制度検討会議、同策定部会が市民局、社会局、教育委員会によって設置され、これらの会議で検討を重ねながら、翌平成16(2004)年1月には教育委員会が選考した5組がメンタリング活動(=メンターとメンティの交流)を開始した。3ヶ月の試行による成果を受け、平成16(2004)年度には、第二次試行として、4月よりメンター及び利用者の公募が始まり、新たに15組が加わり、平成17(2005)年度より本格実施がなされ、今日、60組が活動を行っている。
 
 
 
  参考文献
・渡辺かよ子「日本におけるメンタリング運動:広島市青少年メンター制度の事例を中心に」日本生涯教育学会論集28、2007年
 
 
 
 
  



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