生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2015(平成27)年12月28日
 
 

華族が組織した成人学習の機会 (かぞくがそしきしたせいじんがくしゅうのきかい)

キーワード : 成人教育、華族、華族会館、華族同方会、学習院同窓会・桜友会
伊藤真希(いとうまき)
1.華族の成人学習と華族会館
  
 
 
 
  [定義]
 明治国家の設立を機に、華族という新しい社会階級が誕生した。特権階級の華族には皇室の藩屏となり国民の模範となる事が期待され、国会開設後は貴族院議員としての政治活動も求められた。特に明治初頭には新身分である華族を華族ならしめる教育システムはなく、近代化と共に自らに与えられた社会的役割や社会変化に適応する為、成人の華族は自発的に華族の集団を幾つも組織し、学習活動を行った。その活動は華族が設立した華族会館による学習の場の提供に支えられた。
[華族会館]
 華族会館は明治7(1874)年に華族によって設立された組織である。明治4(1871)年、華族に対して、西洋列国と肩を並べる為には、特に華族は国民に注目されるところなので率先して勤勉努力する必要があるという勅諭が出された。それをきっかけに華族の組織である華族会館が発足した。同8(1875)年の「華族会館章程」によれば、華族会館は国民の模範として国の発展させるために華族が勤勉に努力する為の組織であり、施設であった会館には会議堂が設けられ、会員の会議による運営が行われ、華族及びその子どもの知識の拡充の為に会館内に学務局と書籍局が置かれた。同10(1877)年には華族会館は華族の子どもの為に学習院を設立した。
 華族会館は設立時、本館に旧二本松邸を使用したが、5度の移転後、明治23(1890)年に鹿鳴館を使用する事となった。昭和2(1927)年には三年町(現・霞が関)に移転する。華族会館は鹿鳴館時代の明治37(1904)年に社団法人化され、この時の定款によると、設立目的は華族の学習と親睦を深める事によって国家に貢献する事であった。戦後、華族会館は社団法人霞会館と名を変えたが、旧華族家当主を主要な会員として活動を続けており、今も講演会等の開催を通じて学習活動を旧華族とその家族に提供している。
[華族会館の使用状況]
 華族会館は明治7(1874)年の設立当初、会館の運営会議での使用と、設立目的の華族の知識の発展と、会館への求心力の維持の為に会館が主催した勉強会や講演会での使用が多かった。
 明治14(1881)年に国会開設の詔が出ると、華族会館には議会開設に備え、国政についての知識を深める事を目的とする金曜会、談話会、華族青年会、華族同方会等の華族の団体の活動が始まり、講演会や勉強会が行われた。同22(1889)年に憲法が発布されると、公侯爵の法律研究会、伯爵会、子爵同志研精会、男爵会等爵位ごとに憲法研究を行う団体が活動を始めた。これらの会は憲政の勉強会というだけでなく、次第に貴族院議員選出団体という側面も持つようになった。華族会館も貴族院開設に向け、国会についての「調査委員会」を作り、勉強会や模擬国会を開いた。更に華族会館は、伯子男爵の議員選挙の会場でもあった。国会が開設されると、華族会館は貴族院の華族以外の勅選議員や多額納税議員に対しても客員資格を与える様になり、貴族院内会派の会合にも使用された。
 華族会館では講演会や勉強会等の学習活動のみでなく、スポーツや芸術や文化等のクラブ活動、社交等の活動も行われた。華族の結婚式等の家庭行事にも使用された。また大正期に入ると、学習院同窓会の桜友会が会館を使用して講演会などの学習活動を活発に行った。華族会館は華族の成人の学習活動の拠点であった。
 
 
 
  参考文献
・伊藤真希「華族が組織した戦前の成人学習―華族会館に着目して―」『日本生涯教育学会論集』、第65号、2015年。
・伊藤真希「華族の生涯学習と生涯発達―戦前における華族の家庭教育に着目して―」『愛知淑徳大学教育学研究科論集』、第11号、2015年。
・霞会館編『華族会館史』霞会館、1966年。
・霞会館編『貴族院と華族』霞会館、1988年。
・霞会館『華族会館の百年』霞会館、1975年。
 
 
 
 
  



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