登録/更新年月日:2008(平成20)年12月4日 |
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【若者組と若者仲間】 明治期までの青年期の年齢集団は、若者組と若者仲間とに区別される。答志島の「寝屋子」は、若者仲間による若者宿の一種である。 若者組は学術用語であり、呼称は「若い衆」「若連中」「若勢(わかぜ・秋田)」「二歳中(にせじゅう・鹿児島)」などがある。その起源は室町時代の農村での自治組織、惣村制とされる。若者組は、子供組、中老組など年齢を構成要素として共同体での役割分担が変わる年齢階梯制のうち青年期の集団で、地域共同体における氏神祭礼執行、消防・警備などの安全確保、共同労働、結婚の統制などの活動を行った。青年は共同体で役割を担うことにより、地域の成員として必要な技能や知識を身に付け、一人前になる訓練を受けた。若者組は村落を組織単位とし、成文化された規約である若者条目をもつことが多く、戒律が厳しく年齢差のある集団である。近世には幕藩領主の統制を受けずに発達したが、明治後期に青年会・青年団に改編され、従来の若者組は大正期を境に解体した。現代の青年団は戦後自主的に再建されたものである。 これに対し、若者仲間はおもに同年齢の気の合う仲間が若者宿などに集まり、生涯メンバーが変らずに交流する比較的少人数の集団とされ、「ツレ」「ホーバイ」「ドシ」などと呼ばれた。若者組と若者仲間は機能を異にして、一村落内に重複して存在した。若者組、若者仲間への加入年齢は成年式を行う15歳が多く、上限は25歳から40歳くらいまで、独身者のみの他、既婚者も加入する例があり地域によりさまざまな特徴がある。 【若者宿の一形態である答志島の寝屋子】 青年期の集団が、集会や談話を目的として使用する集会所もしくは合宿所を「若者宿」という。若者組は集会施設としての若者宿をもつこと多く、若者仲間の若者宿は地域内の人望の厚い家に間借りして合宿し、宿の当主と擬似親子となる形態が多い。若者宿は大正期を境に減少し、高度経済成長期に青年の職業選択が多様化し都市への流出が始まって以降、急速に衰退した。 若者宿は志摩地方一帯の漁村、国崎・神島・坂手島などにおいても発達した。しかし、多くは昭和30年代後半までに消滅し、三重県鳥羽市答志町答志地区のみに現存している。答志島(答志町)は人口約2800人の鳥羽湾の離島であり漁業を主要産業とする。(平成20(2008)年現在) 島内の答志、和具、桃取の3地区のうち答志地区に残る若者宿の風習は「寝屋子」と呼ばれ、「寝屋子」とは集まる青年たち、宿自体の双方を指す。寝屋子制度は、中学卒業後の長男男子が同年齢の「朋輩」とともに近隣の「寝屋親」と擬制的親子関係をむすび、寝屋親の家に寝泊りをするものである。答志では若者組の詳細は不明であるが、少なくとも戦後は青年団が寝屋子を包括して存在した。また、他の年齢集団である子供組、娘組はみられない。 br> |
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参考文献 ・江守五夫 『日本村落社会の構造』 弘文堂、昭和51(1976)年 ・瀬川清子 『若者と娘をめぐる民俗』 未来社、昭和47(1972)年 ・福田アジオ他編 『日本民俗大辞典(下)』 吉川弘文館、平成12(2000)年 |
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