登録/更新年月日:2008(平成20)年1月1日 |
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【語義】 「オーラル・ヒストリー」は、様々な文脈で用いられる語だが、ここで注目するのは、御厨貴『オーラル・ヒストリー 現代史のための口述記録』中公新書(2002年)による「公人の、専門家による、万人のための口述記録」という定義である。欧米においては、政治家等には回顧録を残す責務があるという考え方や慣習があり、それら回想録が現代史や政策決定に関しての貴重な史資料として活用されている。そうした現状をふまえての定義であり、「公人」つまり政治、行政、経済界などのリーダーの証言を記録していく作業を、現代の政策決定過程の透明化に資するものとして意義付けたものである。 記録する際には、聞き手としての力量を備えた「専門家」が介在することが前提であり、語り手が重要と考える(自己弁護的だったり、他を慮って表面的になりがちな)内容ではなく、聞き手が重要と考える事柄を内容とするものである。また、その記録は「万人のため」に保管し公開することが前提で、聞き手のフィルターを通してまとめた一部引用・抜粋等ではなく、発言の真意を文脈そのままに伝え、対話の手続きそれ自体をも検証できるかたちでの書き起こしを行うものである。 【説明】 政策科学的な研究を志向する文脈や議論において、生涯教育・生涯学習支援・社会教育の研究や実践を俯瞰するような枠組みを提示し難い状況や、関連諸分野の研究者・実践者との議論の土台を共有することが困難な状況が指摘されて久しい。後続世代にとって、自分の研究や実践の存立基盤がどのような人々や政策動向のうえに成立しているのかを認識できる機会は着実に減ってきたともいえよう。とりわけ法制度や行財政に関しては、白書や答申などの公式文書、関係誌に掲載される固定的で平板な解説文、座談会や対談の記録、それらをいくら眺めても、殆ど何も分からない。「行政」や「当局」といった匿名者の作成した書類も、散逸しているか処分されていることが殆どで、何かの政策において誰が何をしたのか、どのような契機や考えや選択肢があったのか、そもそも何があったのかが分からず、仮設を立てることすら困難なのである。後にどこかで、当時その政策に関わっていた者の話を聞く機会に恵まれてみて初めて、自分の議論が全く筋違いであったことが分かることは少なくないであろう。行政機構の仕組みのなかに身を置いていたからこそ知り得る実務情報や、政治的な意味合いがある。それらについて、当事者の一人称での語りと関係者による証言を得ながら記録し、関係者の集団的記憶として伝えていくことの必要性は高い。そうした集団的記憶があってこそ、今日の研究や実践の総体を俯瞰するような枠組みも提示しうるし、関連諸分野との対話や、異世代との対話が、可能となるのであろう。 こうした状況において、「オーラル・ヒストリー」は、共有されるべき史資料の収集・構築という意味のみならず、社会的な情報発信という意味でも、後続世代の養成・教育方法という意味でも、研究基盤を漸次的に充実させていく、有効な手段と方途を示しているように思われる。 br> |
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参考文献 ・伊藤真木子「社会教育研究におけるオーラル・ヒストリーの意義」『生涯学習・社会教育研究ジャーナル』第1号,2007年 |
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