登録/更新年月日:2015(平成27)年12月28日 |
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[華族同方会による学習機会] 明治17(1884)年に交際を通じて華族の結合を深める目的で華族同志懇親会が組織された。華族同志懇親会は会員数を増やし、明治22(1889)年には華族同方会と名前を変えた。設立当初は学習院を、明治20(1887)年頃からは華族会館を常会場にし、月に2回講師や会員による演説会が行われた。華族同方会の活動最盛期には多くの華族が会員であり、華族会館に次いで大きな華族の集団だった。 華族同方会の設立目的は、華族の本分を研究する事だった。華族同方会での学習活動は専門家の講演と、会員自らの演説によって構成された。会員に受動的な学習の提供をするだけでなく、時には自ら演説を行う能動的な学習も求めた。また会員は会報に論文を投稿する事もできた。同方会では特に上院開設後の華族のあり方を模索しており、演説は国会議員の重要な能力である事から、会員の上院開設へ向けての訓練であった事も窺える。華族以外の演説者は、青木周蔵、稲垣満次郎等、留学経験のある官僚が多く、海外の最新知識を得ようとしたと思われる。その後、同方会は明治26(1893)年頃には活動休止に陥った。国会が開設されると、貴族の本分についての勉強会より、実際に政治会派内での諸活動が重要になっていった為と考えられる。 [学習院同窓会・桜友会による学習機会] 桜友会は大正10(1921)年に発会した学習院の同窓会である。桜友会の設立目的は学習院卒業生の親睦と知識の交換の為であった。発会準備段階に木戸幸一は、大正期の思想界の動揺が激しく、学習院卒業生が団結して、社会問題を研究し、国家の為に尽くすように桜友会を設立するとしている。 桜友会は発会当初約700人もの会員が集まった。桜友会は同窓会であるが、例会や総会の際に講演会を行った。桜友会発会から太平洋戦争末期までの講演会は180回以上に上る。講演内容は国際情勢、政治経済、科学、芸術、社会問題等、雑多であった。また講演者は役人や警察官などの当時の生活の諸問題に対応する職業人も多かった。講演会のテーマは時事が取り上げられ、会員の興味関心を考慮しなかった為か、聴講者が50人以下となる事が多かった。しかし昭和16(1941)年の真珠湾攻撃の直後に行われた大本営海軍報道課長平出英夫「真珠湾攻撃」の講演の様に、聴衆の関心が高く100名以上の参加がある事もあった。常に時事問題を取り上げ続け、実社会について学習しようとした。また講演会だけでなく、実際に貧民の生活の見学を行い、大震災の際には寄付活動をして、社会と関わろうとした。現在も桜友会は学習院の同窓会として活動している。 [華族の成人学習の機会の今日的意義] 華族は学習院により中等教育機会を特権的に保障され、高等教育の機会も享受しており、最も早くに学歴という点で今日的な学校教育の水準や豊かさを享受した社会階層といえる。華族は高等教育修了後、生涯にわたる学習活動を華族会館にて行なった。これは生涯学習の歴史的な流れから見ても、日本における高等教育修了者の集団の生涯学習の先駆けであった。華族会館での成人学習は地域的、社会階層的に限定されたものであったが、日本の生涯学習の歴史にとって、国民全体の学習活動にも関わる一つの動きであったと捉えられよう。 br> 添付資料:表 華族同方会における演説会、 表 桜友会の講演会 |
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参考文献 ・華族同方会『同方会演説集』1−6号、1888−1889年。 ・同方会事務所『華族同方会誌』1−41号、1889−1893年。 ・桜友会史編纂委員会編『桜友会史』学習院同窓会桜友会、1990年。 ・桜友会『桜友会会報』第1−63、65−67号、1921−1943年。 |
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