生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年12月15日
 
 

研究課題・大正〜昭和初期における生活改善運動? (けんきゅうかだい・たいしょう〜しょうわしょきにおけるせいかつかいぜんうんどう)

The Movement for the Improvement of Living in the Taisho and the Early Showa Era
キーワード : 生活改善運動、生活改善同盟会、都市新中間層、経済更生運動
久井英輔(ひさいえいすけ)
2.生活改善同盟会の動向
 
 
 
 
  【社会教育行政の確立と生活改善同盟会の設立】
 戦前期の生活改善運動は、文部省における社会教育行政の確立期において、その主要な事業としての位置を占めており、社会教育史研究において生活改善運動が注目されてきた理由の一つもそこにある。
 大正8(1919)年6月、文部省内に社会教育の主務課として普通学務局第四課が設置されるが、この部署の最初に取り組んだ主要事業が、生活改善運動であった。同年7月から8月にかけて、生活改善に関する三訓令が文部省より発令され、同年11月には文部省主催の生活改善展覧会が東京教育博物館において開催されている。翌大正9(1920)年1月には生活改善運動の推進のため、生活改善同盟会が文部省の外郭団体として設立されている。生活改善同盟会設立にあたって主導的な役割を担ったのが、乗杉嘉寿(普通学務局第四課課長)、棚橋源太郎(当時の東京教育博物館館長)らの文部官僚であり、乗杉、棚橋らの文部官僚の他、内務・農商務官僚、女子教育関係者、議員、会社役員等で構成される幹事、評議員によって会の運営が行われた。
【生活改善同盟会の活動内容】
 生活改善同盟会の活動は、衣食住や社交儀礼等、生活各方面の合理化と節約とを目指した改善方針・改善項目を検討・発表する事業や、講演会、講習会、展覧会等による具体的な生活改善方法の普及を図る事業が中心であった。その他、機関誌『生活改善』の発行、毎年の「時の記念日」の開催や生活改善実践に関する功労者の表彰、外部の講演会への講師派遣、ラジオ講演、生活改善関連資料の貸出も手がけられていた。また、同盟会内の生活紹介部による、日常生活のための推薦商品紹介も、機関誌を媒体として行われていた。
 総じて、1930年代初頭までの生活改善同盟会においては、消費の節約、道徳の健全化の提唱がなされつつ、消費生活の質的向上の推進を目指す活動もまた重視されていたといえる。これらの活動内容の大部分は都市住民、特に新中間層を実質的な対象として想定したものであった。
【生活改善中央会の活動内容】
 生活改善同盟会は、昭和期以降も時代状況からの大きな影響を受けつつ、活動を継続させていく。生活改善同盟会は、会の地方支部やその他生活改善に取り組む地方の諸団体との連絡機能を充実させていくことを目的として、昭和8(1933)年11月に「生活改善中央会」へと改組されるが、この時期の前後から、経済更生運動と協調する形で、農村部での生活改善事業に重点が置かれるようになった。この時期の会の刊行物や展覧会・講習会・講演会事業においては、都市新中間層の家庭生活を前提とした知識提供の傾向が希薄となり、他方、農村部の生活を念頭に置いた結婚・葬儀等の社会儀礼の改善に関する活動が重視され、農村部での生活改善の実例の紹介にも力が割かれるようになる。
 その後、戦時体制に伴う都市の生活課題への注目度が増し、町内会・隣組の整備が内務省の主導により進展しはじめる1930年代末になると、生活改善中央会もまたこれらの都市の生活課題へと再び活動の重点を移していった(活動継続は昭和18(1943)年6月まで)。 
 従来、生活改善同盟会の設立経緯や当初の活動内容は、様々な論者によって注目されてきたのに対し、上記のような1930年代以降の経緯とその背景については、まとまった研究はいまだ少ないのが現状である。
 
 
 
  参考文献
・磯野さとみ「生活改善同盟会の事業概要」(『学苑』第704号, 1998年)
・久井英輔「大正後期・昭和初期の生活改善運動における〈都市〉と〈農村〉 −事業の対象をめぐる言説とその変遷を中心に−」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』第44号, 2005年)
 
 
 
 
 



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