生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日
 
 

PTA (ぴぃてぃえー)

キーワード : 父母と先生の会、学社融合、日本PTA全国協議会、学校支援、学校への参画
今野雅裕(こんのまさひろ)
2.歴史的経緯
 
 
 
 
  【誕生・普及】
 PTAの誕生は昭和21(1946)年発表の第1次米国教育使節団報告書に基づく。GHQの指導下、昭和22(1947)年文部省に設置された「父母と先生の会委員会」は、『父母と先生の会ー教育民主化のためにー』と題するPTA結成の手引き書を作成、全国に通達、PTAの設置を奨励した。NHKでも『PTAの時間』を開始するなど、官民挙げての普及運動が進められた。「父母と先生の会委員会」は『PTA参考規約』を完成させ、昭和25(1950)年に『PTA模範実例集』『PTA参考規約とその解説』『PTA結成の仕方及びプログラムの作り方』『PTA質疑応答集』と4種類のパンフを刊行、配布した。参考規約では、
・家庭・学校・社会における児童青少年の福祉の増進
・学校の教育的環境の整備
・民主社会における市民の権利と義務を理解するための成人教育の推進への努力
などが謳われた。それにより全国でPTA設立の気運が高まり、短い期間内に全国の学校にPTAが組織された。その背景には、戦前から学校を財政的・物質的に援助する後援会、奨学会、父兄会等があり、それがPTA母体となったことがある。そのためPTAは、学校の財政的支援という役割を色濃く反映したものになりがちであった。PTA設置が広がるにつれ、全国組織の結成機運も高まり、昭和27(1952)年東京で全国団体が結成された。
【定着】
 昭和30年代には、教員の政治的中立の確保に関わるいわゆる「教育2法」の動き、教育委員の知事任命制への変更等をめぐり、教職員組合の激しい政治的運動が続き、父母と教員との信頼関係を損ねることがあり、その後のPTAの組織運営に課題を残すこととなった。
 昭和30年代後半、国や地方の財政が落ち着き、学校の財政的な支援は公の責任ということが明瞭になるにつれて、社会教育活動の取り組みが意識されるようになり、昭和34(1959)年の社会教育法改正により、PTAにも社会教育団体補助金が支出されるようになった。しかし、現実には会員の積極的な参加が得らないなど活動もマンネリに陥りがちで、PTA活動は低調との批判が多く指摘されるようになった。
 一方、社会教育審議会から『父母と先生の会のあり方について』報告(昭和42年)が出されたほか、日本PTA全国協議会から『私たちのPTA』(昭和40(1965)年)『PTAの新しい使命』(昭和47(1972)年)『PTA活動を円滑にするために』(昭和52(1977)年)等、PTA活動を模索する資料が次々に刊行された。昭和50年代に入り、青少年非行が社会問題化したことを受け、日本PTA全国協議会はテレビ俗悪番組の追放、有害図書の排除等に力を入れた。
【発展】
 日本PTA全国協議会は、昭和60(1985)年の社団法人化を機会に日中友好「少年少女の翼」(子どもたちの相互交流事業)、映画製作・上演の運動、『月刊PTA』(雑誌)刊行、PTA活動事例集の刊行等、新たな公益的事業を行うようになった。また、臨時教育審議会以降の教育改革の動きの中で、政府審議会等への参加と政策的な提言・発言を積極的に行うようになっている。種々の審議会参加を通じて、学歴社会の是正、教師の資質向上、学校週5日制、生きる力の育成を目指す新学習指導要領、子どもの安全確保など時々の重要課題に関し、全国の父母を代表してその意見を集約し反映させてきている。
 
 
 
  参考文献
・社団法人日本PTA全国協議会『PTAハンドブック』2003年
・社団法人日本PTA全国協議会『PTAは学校にどう参加していくのか』2001年
・社団法人日本PTA全国協議会『学校と家庭・地域の架け橋PTA−連携をどう進めるか−』2000年
・社団法人日本PTA全国協議会『日本PTA創立50周年記念誌』1999年
 
 
 
 
 



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