生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2008(平成20)年12月24日
 
 

大正期における民間の学習活動 (たいしょうきにおけるみんかんのがくしゅうかつどう)

private activities of learning in the Taisho Era
キーワード : 社会運動、セツルメント、夏期大学、自由大学、新中間層
久井英輔(ひさいえいすけ)
1.社会運動・社会事業と学習活動
  
 
 
 
  【社会運動と学習活動】
 大正期は、労働運動、女性解放(「婦人解放」)運動、デモクラシーの気運の盛り上がりとともに、それらの社会運動に伴う学習活動が様々に展開した時期でもあった。
 例えば、1920(大正9)年には平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらを中心に、新婦人協会が結成されている。この団体は、女性解放を目指して政治的活動を行った市民団体であるだけでなく、団体内での研究会・講演会・講習会の開催により、家族制度の研究や、女性問題に関する法制度の系統的学習を意図した講習会、女性団体の有志連合による講演会を実施するなど、学習活動の面においても組織的な展開が注目されるものであった。新婦人協会の活動自体は、政治的な成果(女性の政治集会参加を禁じた治安警察法の修正)を挙げられず、新興の社会主義系の女性団体とも対立が生まれたことなどにより、短期間に終わった。しかし、その後の様々な女性解放運動やその中での学習活動を生み出す触媒となるものであった。
【社会事業と学習活動】
 また、貧困層を対象とする民間の社会事業の盛り上がりにともない、その事業に学習活動が不可分に展開される事例も、大正期に見られた。
 例えば、有志団体が都市貧困地域に定住しつつ福祉事業・社会教育事業を行うセツルメント運動の拡大は、大正期の特徴として重要である。セツルメント事業自体は、片山潜の主導した「キングスレー・ホール」が、先駆的な取り組みとして既に明治後期に見られた。しかしセツルメント事業が普及・拡大を見たのは、デモクラシー運動、労働運動を背景とした大正期であった。特に、関東大震災以降の被災民救済活動を発端として、東京府・神奈川県などで広がりを見せていった。
 この時期の代表的なセツルメント事業としては、東京帝国大学セツルメントが挙げられる。東京帝大の有志の教員・学生による関東大震災の被災民救護活動が母体となり、震災翌年の1924(大正13)年、セツルメント事業のための事務所落成・大学人の移住とともに事業を開始した。この事業では、成人対象の労働学校や市民講座・市民講演会だけでなく、児童を対象とした陸上競技大会、臨海学校、映画会、遠足なども行われていた。
 東京帝大セツルメント以外にも民間ベースでの活動が東京、横浜、川崎、広島などの都市部で展開された。ただし、これらの民間事業の比率は次第に低下し、社会教育よりも社会福祉事業を主眼とする公営の隣保事業が増加していった。
 
 
 
  参考文献
・国立教育研究所『日本近代教育百年史7 社会教育(1)』教育研究振興会、1974年
・福島正夫・石田哲一・清水誠編『回想の東京帝大セツルメント』日本評論社、1984年
・鈴木裕子編・解説『日本女性運動資料集成1 思想・政治1 女性解放思想の展開と婦人参政権運動』不二出版、1996年
 
 
 
 
  



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