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登録/更新年月日:2007(平成19)年2月26日
 
 

江戸時代の社会教育 (えどじだいのしゃかいきょういく)

キーワード : 石門心学、報徳教、若者組
蛭田道春(ひるたみちはる)
1.江戸時代の社会教育
   
 
 
 
   わが国の社会教育が制度として展開されたのは明治以降である。しかし、江戸時代に近代以降の社会教育の基になって捉えられているので、江戸時代の社会教育を取り上げてみる。民衆レヴェルでとりあげてみると、石門心学、報徳教、若者組、昌平坂学問所や藩学校での公開講座などがあげられる。
 石門心学は、石田梅巌によって創始され手島堵安によって組織化され、さらに柴田鳩翁、中沢道二などによって、町人を中心に武士、農民などにまでひろまった。心学は神儒・仏などを取り入れ、忠孝、倹約、正直などの徳目を説いたもので、心徳を磨くことをねらいとしていた。石田梅巌は、「心ヲ尽シ性ヲ知ルヲ学問ノ至極トシ・・・・」のように正しい心を会得することを心学の目的とした。その教化方法は、「道話」という民衆の生活生活経験を例話として取り上げた通俗講話によった。この道話の他に錦絵、絵草紙などをもちいた。この石門心学は明治期になって衰えるが、日本人の庶民道徳にすくなからず影響をあたえている。
 報徳教は二宮尊徳が、幕末に唱え、神・儒・仏の三教を取り入れ、天地人の徳に報いるために、至誠、勤労、分度、推譲の徳をもってあたるべきとした。幕末の農村の経済的衰退の中で、報徳仕法をあみだして農村復興を成功させている。例えば、小田原仕法、相馬仕法などは代表例である。彼の考えは、倫理思想に基づき、経済改善だけでなく社会改善をも志向していた。
 明治に入って、報徳仕法は、報徳社によって、農村の自力更生運動、地方改良運動に影響を与えている。例えば、明治33(1900)年産業組合法が成立するが、その骨子にいては報徳社の信用組合方式が導入されている。つまり、農民の共同心を報徳主義に基づき、農民に勤倹主義と自力更生をすすめることによって、農民の精神的安定をはかろうとした。このことは、わが国の社会教育の特質である“団体主義”等の源流のひとつにもなっていくのである。
 若者組は、「若衆連」「若者組」などとよばれ、その起源は中世末期であるといわれている。若者組は村ごとに、あるいは村の小地域ごとに組織され、若者は地域共同体の行事等の集団生活を通して村民としての訓練をうけた。若者宿は、礼儀作法、村のしきたり、農・魚業等の知識・技術、手習い等を学習する場所であった。この若者の組織、守るべき事項等を規定したものが“若者条目”である。その内容は、目上の人に対する礼儀、風習の改善、賭博・飲酒・口論などの禁止、村是を守ることである。もし、この条目の事項を破った場合には、制裁がなされた。これらが、地域共同体の成員としての人間形成に大きな役割を果たしていたのである。
 なお、若者組のうちで、武士階級に関するものとして、郷中の制(鹿児島)、什人組(会津)などは有名である。この若者組は、明治以降に青年会、青年団として発展した。
 その他に、庶民が講釈の受講を認められた学校として、昌平坂学問所仰高門東舎、藩学校(例 金沢藩明倫堂)、教諭所(水戸藩、津山藩)などがある。
 
 
 
  参考文献
・文部省編「学制百年史」帝国地方行政学会
・岡本包冶・山本恒夫「社会教育の理論と歴史」第一法規
・国立教育研究所編「日本近代教育百年史」第8巻 社会教育
・石川謙著「近世日本社会教育史の研究」東洋図書
 
 
 
 
   



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