登録/更新年月日:2007(平成19)年9月3日 |
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ユース・ワークは1970年代まではユース・サービスと呼ばれていた。「青少年の余暇時間に,家庭や学校や職場では得られない機会を提供して,個々人の身体,精神,知性の資質を発見し,発達させ成長して,自由社会の一員として,成熟した創造性に富む社会の責任ある人間になるように,手をさしのべることである」[1860年の政府の定義]と言えよう。 ユース・サービスは,18世紀の産業革命によってもたらされた青少年の救済運動からはじまった。工業化,都市化の社会変動の歪みから生じた青少年の劣悪な生活環境,家族から離れて過重な労働へ追いやったこと,低賃金で長時間労働を課したこと,不健康な労働環境の中で生活を強いられたことなどが社会問題になった。こうした青少年の生活実態を憂いた民間有志団体は,団結して救済運動に立ち上がった。青少年をとりまく環境が,どれだけ身体と精神の成長を蝕んでいるかを嘆き,青少年の健全育成をめざして,教育・福祉の運動を展開した。YMCAなどの民間団体が自主的に労働環境の改善と健全育成のための教育活動に寄与した。 第1次世界大戦後は,青少年の非行の増加もあって国民の関心も高くなり,1939年には政府も国民教育の体系に組み入れ,民間有志団体と行政とが協力してユース・サービスを展開した。しかし,財政難や指導者の人材不足などの理由で顕著な進展が見られなかった。第2次世界大戦後の経済復興,人口増加と都市流入,人権重視の思想が青少年の教育と福祉の充実化を推進させ,ユース・サービスは発展していった。 1960年代にはユース・サービスの促進を図る報告書(アルバマール・レポート)[委員長の名を付した勧告書]に基づいて,政府は青少年対策に力を入れた。その骨子は, 1)民間有志団体と地方教育局との協力体制を強化して多様な施策を実行すること, 2)サービスの理念を明確にして、14歳から20歳までの全ての青少年に対してa.仲間づくり(association) b.研修(training) c.挑戦(challenge)の機会を与えること, 3)10年計画でユース・センターの建設を政府の責任で行うこと, などであった。 この目標が達成された1970年代には、地域との連携,官民共同事業,学校家庭地域との連携,ボランティア活動団体との協力,雇用促進政策などが進展した。継続教育と職業訓練との連携をはかる雇用・研修法も制定され,名称もユース・ワークと統一された。 1980年代には,経済不況になり,未熟練の青少年の失業者が増加し,加えて社会的価値の変化などが主要因でセンターの利用者も激減した。青少年の技能教育や雇用促進を図る政策も十分に活用されなかった。 1990年代になってプレヤー政権は,総合的な青少年対策案を提示し,教育と雇用の促進をはかった。ユース・ワークは個人の成長を育む支援であり,社会人として働くための援助であり,そのために新しく「コネクションズ」という地域に密着した組織(学校・警察・市民・青少年・ボランティア団体などの連携組織)を創設し,指導援助するパーソナル・アドバイザー制度をつくり,専門ワーカーのはたらきによってさらに充実した活動を展開している。 イギリスのユース・ワークは伝統的に有志団体の「志」がある。青少年を「利用価値」として労働のための道具に用いるのではなく,青少年の「存在価値」を大切にした人間教育の育成支援の「志」が,その通奏低音として流れている。 br> |
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参考文献 |
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