登録/更新年月日:2006(平成18)年7月20日 |
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【定義】 「リテラシー」は本来「識字力」を意味するが、近年ではこれが拡大され、種々のものについての「活用能力」を意味するようになった。したがって「情報リテラシー」は「情報活用能力」を意味する。この能力は、「受信者としての能力」と「発信者としての能力」に分けることができるが、前者は「情報を適切に収集・判断できる能力」、後者は「情報を適切に創造・発信できる能力」を意味している。 なお、「メディア・リテラシー」は、「メディア(から得られる情報)を活用する能力」や「メディアを活用して情報を発信できる能力」など、様々な字義に使われるているが、いずれの場合も「情報リテラシー」の一部分である。 【説明・動向】 この「情報リテラシー」「情報活用能力」は、日本で生まれた概念である。多くの国では、情報化と教育の関係に関する議論が、未だに「コンピュータ・インターネットの使い方に関する教育」や「コンピュータ・インターネットを活用した教育」に限定されており、情報そのものを対象とした議論が十分でないからである。 この能力を養成するのが「情報教育」であるが、これも日本で生まれた概念である。例えば平成12(2000)年に東京で開催された「G8教育大臣会合」では、議題のひとつが情報化とされたため、ホスト国である日本から「情報教育」をテーマとするよう提案したが、(メディア・リテラシー教育が盛んなカナダを除き)他国はこのことの意味・意義そのものがよく理解できなかった。 【課題】 しかし、日本が始めた「情報リテラシーのための情報教育」は、例えば学校教育においても、その成果を十分にあげているとは言いがたい。 文部科学省は、「情報教育は、学校内のあらゆる活動、あらゆる教科を通じて実施する」としているが、これは逆に、「特に何もしない」という事態を招いてしまう場合が多い。また、高等学校で新設された教科「情報」も、前記の意味での情報教育のためのものとはなっていないのが現状である。 これらの原因は、情報リテラシーや情報教育を、より大きな「コミュニケーション」(他人と情報をやりとりすること)という枠組みの中で考えてこなかったことにある。例えばカナダでは、メディア・リテラシー教育の授業は、日本の国語に相当する時間に行われている。「情報の適切な収集・判断、創造・発信」が対象というのであれば、漢字の書き取りも、俳句も、英語も、その一環として捕らえるべきものだったが、いわゆる教科の壁がこれを阻んだ。 学校教育・社会教育を含め、日本が生み出した「情報リテラシー」「情報教育」というものに生涯学習全体として取り組んでいくためには、既存の枠組みにとらわれず、人間による情報のやりとりの全体を対象としていく必要がある。 br> |
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参考文献 岡本薫『学校情報化のマネジメント』明治図書 平成13(2001)年 |
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