登録/更新年月日:2006(平成18)年11月2日 |
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資格とは何か。資格とは評価の一つの形態である。一般的に、評価とは、価値判断のすべてを含む。ただし、その多くは移ろいやすい。そこで、一定のことを行うために必要とされる条件や能力への評価に関しては、敢えて固定化して認証する。その認証によって得られた証書等を「資格」と定義することができる。したがって、学習成果認証を論ずる場合には、学歴も含めて議論を進めることができる。 評価を固定化して「資格」とする時に求められるのが、制度化された手続きである。その際、「論理性」「功利性」「倫理性」が求められ、そのいずれかでも欠けていると認識した場合、問題があると感じることとなる。 学歴偏重という社会問題とは、この固定化した評価であるところの資格がまさに偏った「功利性」のみにおいて機能することにある。従来替わるものがないので、所持者の能力の衰え、さらには技術革新があっても、学歴がずるずる使われていったのであった。その上、学歴には更新制などない。 『資格社会: 教育と階層の歴史社会学』の著者として知られるランドル・コリンズ(Randall Collins)は、資格廃止論への志向を示している。彼は、「資格」そのものをなくせば問題解決ができると期待していた。また、比較研究で知られるロナルド・ドーア(Ronald Dore)も、公共の利益のために必要となる免許以外の職業資格を廃止することを提案している。さらに、規制緩和論で知られる経済学者のミルトン・フリードマン(Milton Friedman)も、あらゆる免許(license)と資格(certification)の廃止を訴えている。 しかし、「資格」をなくせば、入学や採用の度にいちいち能力検定をやらなければならない。その場ごとに能力検定を効果的に行おうとすることは、経済性の観点から見て、また人的資源の確保の観点からも、多くの場合容易ではない。そうなると、「資格」のないままに労働市場での苛烈な競争にさらされて苦しむのは、間違いなく弱者たちになる。以上で挙げてきた「資格」廃止論者には、これらの弱者たちにかかわる問題に対応できるような実現性のある具体的代案が見られるとは言い難い。さらに資格がないままに社会に放り出される人たちや、それに耐えうる人がどれだけいるのかに配慮が欠けていると言わざるを得ない。 たとえば、イギリスにおいても、社会的に不利な立場にある学習者が学習成果認証のないままになりがちできた。そのような状況の中でも、キャロライン・ベン (Caroline Benn)らは、すべての人に中等教育水準の資格認証機会とさらには希望者全員への成人の高等教育進学への道を切り開こうと取り組みを進めてきた。そこで、ベンは、単に進学機会を与えるだけではなく、その機会を通じて得られた学習者たちが到達した水準の高さを強調している。すでに日本でも1992年に当時全国職業高校校長会会長であった大橋信定が、「生涯にわたって活用できる職業資格を職業高校で授与し、その資格を基礎として、その後の人生における学習の基礎とする」ことを提言している。しかし、その後具体的な進展があるとは言い難い。 とはいえ、基礎となる資格を取得以後も、それを引き継ぎつつ、学習者本意で継続的に研修しつつ発展的に活用していくことが、大切な課題となるのは間違いない。 br> |
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参考文献 ・岡本包治『学習ニーズに応える資格』ぎょうせい, 1993年. ・柳田雅明『イギリスにおける「資格制度」の研究』多賀出版, 2004年. |
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