登録/更新年月日:2012(平成24)年1月3日 |
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冒険遊び場は、地域において、子どもたちが自分の責任で自由に遊ぶ場、機会を保障する活動である。整備され使用方法が限定された遊具、管理された場ではなく、焚き火や、廃材、小刀等を使用し大工作業を行うこと等、遊びの選択の拡大と創造性を広げる活動をしている。また、意図、計画されプログラム化された活動を行うよりも、遊ぶ素材や、材料や工具を用意しておき、子どもや参加者の希望に応じてそれを提供するという形態をとっている。プレーパークとも呼ばれる。 この冒険遊び場は、1943年に第二次世界大戦の最中、デンマークのコペンハーゲン郊外において、「エンドラップ廃材遊び場(Emdrup Skrammellegepladsen)」として誕生した。その後、イギリスで紹介され、ロンドンの爆撃跡地で冒険遊びが開始された。その活動が隆盛をみせ、デンマークに逆輸入されることとなり、1950〜70年代を中心としてスウェーデン、スイス、ドイツ、アメリカといった欧米各地に広がっていく。 日本において冒険遊び場が実践されたのは1970年代である。昭和49(1974)年の8月から翌年2月に佐賀県唐津市「冒険村」、昭和49(1974)年9月から10月に神奈川県横浜市「ガラクタ広場」、昭和50(1975)年7月から9月には東京都世田谷区で「こども天国」、昭和52(1977)年7月から翌年9月まで同区「桜丘冒険遊び場」といったものがその草分けであった。 昭和50(1975)年には東京都世田谷区の住民の実践が国認められ、昭和54(1979)年に常設型の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」が誕生し、1990年代より全国的に活動団体が増加し、平成22(2010)年の調査では270以上の活動団体が存在している。 元々は住民の活動で推し進められてきた活動であるが、近年では行政との協働、また行政主導で冒険遊び場をつくる動きも加速している。例えば、横浜市では平成16(2004)年に「横浜市プレイパーク運営支援要綱」を全国に先駆けて作成し、公園を焚き火や穴掘り等でも使用できるようガイドラインを策定し、平成18(2006)年からの5ヵ年計画では、当時市内に7カ所であった冒険遊び場を、18ヵ所に増加される目標が打ち出させれた。そのための予算として1億3000万円以上が拠出されている。千葉県では、県内での冒険遊び場づくりの推進を掲げ、研修会を定期的に実施し、四街道市や八千代市でも市と活動団体による研修会が協働で運営されている。 四街道市プレーパークどんぐりの森では、元々は子育て中の母親による育児の自主グループとして始まった活動が、里山の地権者から土地の利用を許可され、幼児だけでなく小学生、中学生らも放課後に通っている。また結果として、不登校等の生徒の一時的な居場所とった機能も担っている。そして地域に暮らす人々も散歩をしながら寄るといったゆるやかなコミュニティを形成している。運営は、四街道市との協働でスタッフの人件費を含めて運営している。近年、関わる母親らが自主保育を行うグループを立ち上げ、市内外の保育園や幼稚園、学童も定期的に利用している。また、子どもたちがお店をつくり商店街を運営する「こども商店街」といった催しも取り入れられている。 このように冒険遊び場の取り組みは現在全国的にその数を増加させている。一方で、スタッフの雇用条件の向上や、育成を行うこと、そして地域や個人の実情に応じて柔軟な形態をとることが課題となっている。 br> |
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参考文献 ・佐藤裕紀「子どもの遊びに関わるスタッフの養成に関する一考察−冒険遊び場に関わるスタッフの葛藤と課題に着目して」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』別冊19号-1。 |
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