生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2020年2月8日
 
 

韓国における女性高齢者の識字教育(かんこくにおけるじょせいこうれいしゃのしきじきょういく)

literacy education for older women in South Korea
キーワード : 識字教育、文解教育、女性高齢者、成人文解教育支援事業、韓国
金明姫(きむみょんひ)
 
 
 
  1.韓国における識字教育政策と女性高齢者
 文字の読み書きができる識字(文解、literacy)は、人間の生活を営む上で最も基本的な権利であり、すべての教育の土台となる基礎的な能力である。
 韓国における識字教育は、「平生教育法」第2条3項に「『文字解得教育』(以下「文解教育」という)とは、日常生活に必要な文字解得能力を含む社会的・文化的に要請される基礎生活能力等を身に付けられるようにするために組織化された教育プログラムをいう」と定義し、平生教育の一領域として「成人基礎・文解教育」が規定されており、同法第39条・第40条には識字教育に対する国及び地方自治体の任務が定められている。
 韓国が1945年日本の植民地統治から解放された当時、12歳以上の人口の約78%が、読み書きができない非識字者であることから、「文盲退治」、すなわち、識字教育は解放以降の国家再建の最重要課題であった。米軍政府管轄の成人教育局と公民学校が設立され、特に、非正規教育機関である公民学校は、識字教育をはじめ、公民教育、生活改善などの成人啓蒙教育の役割を担うほか、小学校卒業後、中学校に進学できなかった青少年の継続教育課程も設けられた。1948年の大韓民国政府の樹立後、教育法(1949年)が制定され、小学校を義務教育として保障し、小学校教育を受けられず学齢期を超えた成人学生には公民学校成人班への就学が義務づけられ、成人学生への国語、社会、算数などの基礎教育と識字教育が積極的に実施された。朝鮮戦争直後、「義務教育6か年計画」(1954年−1959年)とともに、国家の識字教育政策として「文盲退治5か年計画」(1954年−1958年)が推進され、12歳以上の男女の非識字者全員を対象に、小学校2年レベルの読み書きと日常生活に必要な計算、その他の基礎科目及び公民教育などが行われた。
 これらの事業の結果、非識字率は解放当時の78%から、「文盲退治5か年計画」が終了する1958年には4.1%へと激減し、さらに1960年には義務教育就学率が96%までに達したことから、これ以上国家レベルでの識字教育は不要であるとされた。識字教育は政策的・社会的関心事から除外され、以降30年間は国家レベルの識字教育政策はほぼ不在であった。
 しかしながら、1960年に経済企画院が実施した国税調査によると、簡単な読み書きができない非識字率が全体で27.9%であり、なかでも女性高齢者の非識字者数は、男性より約3倍多く存在していた。
 当時の社会文化的雰囲気の中では、「韓国の非識字問題は完全に解決できた」という政府の立場が公式化されることによって、非識字者であることを恥ずかしく思い、識字教育への参加を敬遠するようなことが起こっていた。さらに、非識字者の多くが経済的困窮のため、識字教育を断念せざるを得ない状況もあった。
 特に女性は、農業をはじめ家事、育児、親の扶養に従事しており、家庭の貧困や家父長的な儒教文化に起因した社会の雰囲気と家族観によって女性であることを理由に識字教育へのアクセスが妨げられた。結果的に、最も識字教育が必要である成人女性と女性高齢者のための識字教育が放置され、女性高齢者の非識字を個々人の問題として扱うことになった。教育を受ける機会が最も乏しかった女性高齢者は、母語の識字を獲得する機会を得られず、非識字の問題を深刻化させるに至ったのである。
 
  (参考文献)
・金明姫「韓国における女性高齢者の識字教育に関する一考察―『成人文解教育支援事業』を中心に―」日本生涯教育学会論集40、2019年
 
 
 
  2.「成人文解教育支援事業」における女性高齢者
 識字教育は国家の政策的関心事から排除されてきたが、1990年代のユネスコ等の識字教育への国際的努力と支援の拡大、1980年代半ばから民間機関を中心に展開された識字教育運動の影響を受けて、再び国家は識字教育支援に乗り出し「成人文解教育支援事業」が推進されるようになった。
 「成人文解教育支援事業」は、2001年から推進された「疎外階層平生教育プログラム支援事業」の一つとして「文解教育プログラム」への支援として行われたが、2006年からは独自的事業として毎年約20億ウォンを援助している。また、2007年の「平生教育法」全面改正により、「国及び地方自治体は成人の社会生活に必要な文字解得能力等基礎能力を高めるために努めなければならない」との識字教育に関連する条項(第39条・第40条)が新たに設けられ、識字教育が法的に保障されるようになった。
 2011年からは「成人学習者の学歴認定体制」が構築され、非識字の成人が正規学校教育に通わなくても、識字教育プログラムで履修した学習成果を小学校または中学校の学歴として認定するようになった。こうして小学校・中学校の学歴認定を受けた者は、2018年までに累計11,082名に及ぶ。また、2015年からは、国家平生教育振興院によって開発された「成人文解教科書」を無償で提供している(毎年約25万部)。
 2006年の事業開始から2018年まで約35万人が識字教育に参加し、民間の識字教育機関や夜学、学校、社会福祉館、地方自治体などの389か所で1,597種の識字教育プログラムが運営されている(2018年現在)。
 一方、統計庁の「2015年人口総調査」によれば、18歳以上の成人のうち、13.1%にあたる約517万人が中学校以下の教育段階にとどまり識字教育の潜在的需要者となり、このうち、65歳以上の女性高齢者は約263万人に及ぶ。また、国家平生教育振興院の「2017年成人文解能力調査」によると、日常生活を営む上で必要な基本的な読み・書き・計算が不可能なレベル(レベル1、小学校1-2年課程)の非識字者が約7.2%で、約311万人と推定され、女性の非識字者は9.9%で、男性の4.5%の2倍以上を占めている。年齢においては、70歳から79歳までは28.7%、80歳以上では67.7%が日常生活上で困難を抱える非識字者である。
 2017年の「成人文解教育支援事業」の性別・年齢別参加現況をみると、参加した学習者は、全体で25,822名であり、そのうち、女性が24,836名で96.2%を占めている。なかでも、60代以上の女性高齢者が85.3であり、70代が44.3%で最も多く、80代以上は6.8%であった。韓国における「成人文解教育支援事業」の主な対象は女性高齢者となっている。
 しかしながら、「成人文解能力調査」のうち、無学歴者の学習形態に関する調査によれば、無学歴者の52.4%が「教育を受けていない」と答えており、「独学や家族から学ぶ」割合が39.3%であった。続いて、「平生教育機関」が6.1%、「宗教機関」が0.8%であり、非識字者の識字教育機関へのアクセスが十分に保障されていないことがうかがえる。
 
  (参考文献)
・金明姫「韓国における女性高齢者の識字教育に関する一考察―『成人文解教育支援事業』を中心に―」日本生涯教育学会論集40、2019年
 
 
 
  3.女性高齢者のための識字教育の課題
 「国家文解教育センター」が提供している各機関の教育事例を参照すると、識字教育は単に文字の読み書きを学ぶだけではなく、多様な体験活動やクラブ活動を通して他者とのつながりをもったり、地域の保育園での童話語りや公演会など、学習の成果をボランティア活動として活かすプログラムが行われている。また、国際結婚で移住してきた嫁と非識字者である姑の多文化家庭における葛藤を解消するため、演劇を通して識字教育を行うプログラムなど、女性高齢者それぞれの生活に合わせた識字教育が行われている。
 とは言え、非識字の女性高齢者のほとんどが農村に居住しているにもかかわらず、識字教育機関は大都市や中小都市に集中しており、教育機関へのアクセスが十分に保障されていない。また、国家の「成人文解教科書」普及により、これまで民間の識字教育機関を中心に行われてきた個性豊かな自作教材の開発が停滞し、識字教育がもつ多様性が損なわれることが懸念される。さらに、国家が開発した「成人文解教科書」は、成人学習者の学歴認定を目的とした教材であるため、学歴取得を目的としない学習者や、女性高齢者など多様な学習者の特性が反映されていないことが課題である。特に、生活から離れた教材と教育内容は、非識字者ではあるが、人生の多様な経験や知恵をもつ女性高齢者の共感を得られず、結果的には識字教育への参加を敬遠する要因となっている。
 韓国における「成人文解教育支援事業」に参加する主な対象は女性高齢者であるが、女性高齢者に関するきめ細かな政策的関心がなく、農村地域の女性高齢者のための識字教育機関や支援が不足しているほか、女性高齢者のこれまでの経験や知恵を反映した教材開発等の課題が山積している。女性高齢者のための識字教育の実践事例を集積しながら、女性高齢者ならではの生活に根ざした識字教育のあり方を模索していく必要があるだろう。
 
  (参考文献)
・金明姫「韓国における女性高齢者の識字教育に関する一考察―『成人文解教育支援事業』を中心に―」日本生涯教育学会論集40、2019年
 
 
 
 
   



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