生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2021年1月26日
 
 

ひとの生活と移動性を踏まえた「生涯にわたる言語学習」(ひとのせいかつといどうせいをふまえた「しょうがいにわたるげんごがくしゅう」)

キーワード : 言語学習 、対話 、移動 、グローバル時代 、複言語主義
山内薫(やまうちかおり)
 
 
 
  1.生活を踏まえた「生涯にわたる言語学習」
 「ことば」とは「生きる活動」である。そのため、「ことば」とは、生活のなかで培われ続けるものである。また、言語学習とは、生涯にわたる営みである。ひとは、それぞれが生きている空間、つまり、日常の生活におけるありとあらゆる空間のなかで、絶えず、「ことば」を介し、思考するとともに、自身・他者に対し、表現し続けている。日本語教育学者である細川英雄によると、言語の最も重要な機能は「思考・思想の伝達による人間相互の社会的関係の成立」である。そして、そこで行われる言語活動とは、「あらゆる言語行為、言語活動を統合した、人間生活の一形態」、つまり「ことばによるコミュニケーションが社会的人間の形成に資するもの」である(細川、2004、p.146)。
 言語学習においては、一般に当該の学習言語の実用的な価値や有用性といった側面が注目される。特に外国語教育において、学習言語が将来的に職業や学業で使用される言語として捉えられる場合、その傾向が強く現れる。しかし、言語学習により得られる成果は、言語的道具としての「ことば」だけではない。言語学習による豊かな経験をとおし、言語運用能力やコミュニケーション能力といった数値化することの難しい、重層的で多様な学びを得ている。そして、それらの学びは、生涯教育論を提唱したラングラン(1979)の生涯教育の考えに示される、「個性を顕現する」につながる。なぜなら、個性の顕現は、生涯にわたる「継続的な教育過程」の参加のなかで、ことばを介した他者とのかかわりと自己との対話を通して実現されるからである。
 さらに、21世紀の教育や学習の在り方について検討するため、ユネスコにより設置された「21世紀国際委員会(The International Commission on Education for Twenty-first Century)」の報告書『学習:秘められた宝』(以下、ドロール報告書;原文「Learning The Treasure Within」)(1997/1996、p.77)においては、21世紀教育国際委員会の委員長であるジャック・リュシアン・ジャン・ドロール(J. L. J. Delors)が中心となり、生涯学習の視点から21世紀の教育や学習のあり方が深く、幅広く検討された結果、次のような「学習の4本柱」という教育方針が掲げられた。
1)知ることを学ぶ(learning to know)
2)為すことを学ぶ(learning to do)
3)共に生きることを学ぶ(learning to live together)
4)人間として生きることを学ぶ(learning to be)
 ドロール報告書によると、「人間として生きることを学ぶ」こととは、「全き人間への発展過程」である(前掲、p.67)。つまり、「特定の目的(知識や資格、あるいは経済的な可能性の向上など)の達成手段」を得ることが学習ではなく、「生まれたときから生涯の終わりまで続く個の発達」に絶え間なく向き合うことこそ学習であるということである。そのような生涯にわたる個の発達は、「自己を知ることから始まり、自己と他者との関係を築くという対話的過程」であると同時に、「絶え間ない人格形成の過程」である(前掲、pp.74-75)。「ことば」はそれらの過程を支える要素である。そして、その「ことば」は日々の生活のなかで他者と関係を構築する過程で「学習」され続ける。
 
  (参考文献)
・21世紀教育国際委員会『学習:秘められた宝―ユネスコ「21世紀教育国際委員会」報告書―』天城勲(監・訳)、ぎょうせい、1997.(United Nations Educational、 Scientific and Cultural Organization. Learning : The Treasure within Report to UNESCO of the International Commission on Education for the Twenty-first Century. Paris : UNESCO、1996.)
・細川英雄『日本語教育は何をめざすか―言語文化活動の理論と実践―』明石書店、2004.
・ラングラン、P.「生涯教育とは」持田栄一、 森隆夫、 諸岡和房共(編)、日本ユネスコ国内委員会(訳)『生涯教育事典資料・文献編』ぎょうせい、1979.
 
 
 
  2.移動性を踏まえた「生涯にわたる言語学習」
 1990年代以降、急速なグローバル化の進行により、地域内や国内から国外へと、地球規模で人々や文化が「移動」する手段が質量ともに急激に増大している。今後もさらに、人々や物の物理的な「移動」や言語間の「移動」が活性化していくことが見込まれる。日本語教育学者及び文化人類学者である川上郁雄によると、人の移動は「国際間の双方向の移動や多地点間移動など」に研究視野が拡大され、今や「移動」が常態とされる「移動する時代」である(川上、2016)。また、社会学者のアンソニー・エリオット(A. Elliott)とジョン・アーリ(J. Urry)によると、私たちが生きる現代社会は「モバイル・ライブズ」(mobile lives)であり、人々は「移動の途上」にいる(エリオット・アーリ、2016/2010)。
 「移動」の常態化に伴い、私たちの生活も変容した。従来、私たちの生活は、「フェイス・トゥ・フェイスな社会的相互作用に基礎づけられ」ていた。そのため、地理的に近接していたコミュニティが主要な社会空間となっていた。しかし、コミュニティ観、旅行観、国家観、コミュニケーション観等の変容に伴い、モノ、人、情報、イメージの移動が活発化した結果、地理的に近接するコミュニティに留まらない「様々な社会空間を横断するつながり」が実現されるようになった(前掲、p.20)。言語学習者もまた、変容し続ける現代社会に生きており、「移動の途上」にいる。学習者は、言語を学習するにあたり、学習対象言語が使用される国や地域と居住地との距離に影響を受けつつも、多様で豊富な移動手段を活用したり、発展し続ける情報通信ネットワークを駆使したりすることにより、独自の言語学習環境をつくり出している。また、そのような「移動」を通した言語学習経験において、学習者は、学習対象言語のみならず、学習者が有する複数の言語を活用し、他者とのやりとりを介して複数の文化を経験している。
 生涯教育論の「生涯にわたり統合された教育」(lifelong integrated education)における「統合」の観点(宮原、1990;森、1997)からみると、この「移動」は、人や物の物理的な「移動」や言語間の「移動」に限らない。ひとが生きている過程においては、個人の乳幼児期から高齢期に至る全生涯(時間的統合)における「移動」や家庭教育・学校教育・社会教育といった社会全体の教育環境(空間的統合)における「移動」も起こる。これらの「移動」は、重層的に統合される(あるいは人が自ら統合する)ことによりつながっている。
 また、「移動」を「学び」という観点で捉えると、人は、教育のなかで、それまでの生涯(時間)において得られた学びと新たな学習環境(空間)において得られた学びを統合している。つまり、一人ひとりの人生において、時間的・空間的な「移動」が意味づけられ、それらの「移動」が生涯にわたり統合されている。生涯教育論では、「統合」が教育的立場から検討されてきたため、学び手そのものの「統合」に至る垂直的視点(時間)及び水平的視点(空間)の変容における動態性を表す概念は提示されていない。だが、生涯教育論の「統合」の概念は、グローバル時代の人生を歩む言語学習者の垂直的視点(時間)と水平的視点(空間)の変容における移動性、すなわち、学び手の生涯におけるある期間、ある学習環境のなかで学びが変わりつくられていく様を掴む概念として重要となる。
 
  (参考文献)
・エリオット、A.・アーリ、J.『モバイル・ライブズ―「移動」が社会を変える―』遠藤英樹(監訳)ミネルヴァ書房、2016(Elliott、 A. & Urry、 J. Mobile Lives. London、 UK : Routledge、2010.)
・川上郁雄「『移動する子ども』と日本語教育を考える」川上郁雄・三宅和子・岩ア典子「『移動とことば』の視点から見る、個人にとっての日本語使用の意味と位置付け」2016年日本語教育国際研究大会パネル発表資料、2016.
・宮原誠一『社会教育論』国土社、1990.
・森隆夫(1997)「理念・理論・方法」森隆夫・耳塚寛明・藤井佐知子編『生涯学習の扉―理念・理論・方法』序章、ぎょうせい、1997、1-8頁.
 
 
 
  3.生活と移動性を踏まえた「生涯にわたる言語学習」を支援する教育
 今後の言語教育は、グローバル時代の人生を歩む言語学習者の生活と移動性を踏まえた「生涯にわたる言語学習」を支援する教育となる必要がある。それは、グローバル化した社会に応じる言語教育ではなく、グローバル時代における生涯学習としての言語教育である。
 近年のグローバル化に伴い、現在、大学教育において、「世界に雄飛する人材」(文部科学省、2012)や「経済社会の発展を牽引する人材」(日本学術振興会、2014)、すなわちグローバル人材の育成が推進されている。グローバル人材を育成するにあたり、大学教員は「役に立つ」という概念からなかなか離れることができない。なぜなら、グローバル人材をつくる教育においては、国際的な業務への就業に役立つ知識や技能の習得が目に見える成果として評価されやすいためである。言語学習における目に見える成果とは、学習対象言語の習熟度である。例えば、外国語であれば、学習対象言語が、母語に「付加された価値」に値する能力に到達していると他者から認定を受けることが必須となる。具体的には、学習対象言語の母語話者が有する言語レベルの獲得が目指される。
 一方、欧州評議会の言語教育の理念からは、生活と移動性を踏まえた「生涯にわたる言語学習」を支援する姿勢が見て取れる。第二次大戦後、ヨーロッパ内での人々の実質的な「移動」が常態化していることを踏まえ、欧州評議会は「生涯学習のためのヨーロッパ資格認定枠組み」(CEC;Le cadre europeen des certifications pour l'education et la formation tout au long de la vie)の推進を進めている(COMMISSION EUROPEENNE Education et culture、2008)。また、生活のあらゆる場面で言語学習の機会を奨励する目的として2001年にEUと共同で実施された「欧州言語年」(L'Annee europeenne des langues 2001)を記念し、次の3点を目的とする「欧州言語の日(La Journee Europeenne Des Langues)」が制定された。
1) 複言語主義と異文化理解を促進するために、言語学習と様々な学習言語の多様性に対して関心をもたせる。
2) 維持及び育成されるべき欧州の豊かな文化的及び言語的多様性を促進する。
3) 初等・中等教育機関、あるいは高等教育機関の内外の環境において、職業的ニーズや移動の動機、あるいは単に楽しみと交流のために、生涯にわたる言語学習を奨励する。
(Conseil de l'Europe、2014、筆者訳)
 このような「生涯にわたる言語学習」を支援する取り組みにおいては、“生涯にわたり、時間的・空間的視点から、一人ひとりの生活やそのなかの移動性を踏まえた上で営まれる行為”が重視される。ここでいう「移動性」は身体の移動に留まらない概念である。また、「移動性」は欧州統合をめざす欧州評議会加盟国の文脈でのみ当てはまる概念ではない。
 川上・三宅・岩ア(2016)では、「現実を生きる人々の生活を、『移動』と『ことば』という二つの焦点で捉えるバイフォーカル(bifocal)なアプローチから、移動性、複文化性、複言語性を持つ人と言語教育の関係、および日本語教育のあり方」が議論されている。今後も拡大し続けるグローバル化に伴い、言語学習者の「移動」の意味づけに関してもさらに議論する必要がある。また、「移動の途上」にいる言語学習者が、「生きる活動」である「ことば」を日々の生活において、他者との関係のなかで「学習」し続けていくことをどのように支援していくのかが課題となる。
 
  (参考文献)
・川上郁雄・三宅和子・岩ア典子「『移動とことば』の視点から見る、個人にとっての日本語使用の意味と位置付け」2016年日本語教育国際研究大会パネル発表資料、2016.
・文部科学省「1−3. 新たな時代を拓くグローバル人材育成のための大学改革の新展開(新規)【施策目標4−1】」.
(参照日2021年1月20日)
・日本学術振興会「経済社会の発展を牽引するグローバル人材育成支援」.
< http://www.jsps.go.jp/j-gjinzai/>(参照日2021年1月24日)
・COMMISSION EUROPEENNE Education et culture. Le cadre europeen des certifications pour l'education et la formation tout au long de la vie.
(参照日2021年1月24日)
・Conseil de l'Europe. Qu'est-ce que la Journee europeenne des langues ?
(参照日2021年1月24日)
 
 
 
 
   



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