登録/更新年月日:2021年2月1日
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1.グローバル・シティズンシップ教育としての開発教育 開発教育は、歴史的に国際理解教育やグローバル教育の中に位置付けられ、展開してきた。国際理解教育は、第二次世界大戦後ユネスコにより提唱され、1974年の第18回ユネスコ総会の「国際理解,国際協力及び平和のための教育ならびに人権及び基本的自由に関する教育についての勧告」で体系化された。冷戦終結後は,民族紛争や宗教間の対立の顕在化から、「国際理解教育」では不十分であるという認識が国際社会に広まり、2001年のユネスコの国際教育局主催の会議では「平和・人権・民主主義教育の総合的行動要綱」が採択された。一方、1980年代後半からは「持続可能な開発」も注目されるようになり、持続可能な開発の系譜上にESD(Education for Sustainable Development)が誕生した。2005年から2014年は「国連ESDの10年」として定められ「グローバル・シティズンシップ教育」が,その終盤に新たに登場する。 1980年代までの開発教育やイギリスのワールドスタディーズは、グローバルな相互作用の気づきや思考を目指す市民のためのグローバル教育であった。一方、グローバル・シティズンシップ教育は、国際NGOのオックスファムやユネスコなどが提唱する公正や人権、多様性や持続性といった普遍的価値の獲得を目指すものとなっている(藤原2016)。 オックスファムの「グローバル・シティズンシップのためのカリキュラム(A Curriculum for Global Citizenship Oxfam’s Development Education Programme, 1997)」やユネスコの「21世紀の課題に挑戦する学習者を育むグローバル・シティズンシップ教育(Global Citizenship Education, Preparing leaners for the challenges of the 21st century)」では、グローバル・シティズンシップ教育は、学校を超えたより広いコミュニティで学ぶ学習のための枠組みであることや、グローバル市民の条件として、世界市民としての役割への意識、多様性の尊重、社会正義をもったコミットメント、ローカルからグローバルといった幅広い段階でのコミュニティへの参加、世界をより公正で持続可能な世界にするための行動、自らの行動への責任、などが挙げられている。 文部科学省は、2010年に大学教育でのグローバル人材育成推進事業を開始し、高等学校においても2014年から、グローバルリーダーの育成を図る「スーパーグローバルハイスクール(以下SGH)」事業を実施している。SGHは、英語力だけではなく、社会問題の知識やコミュニケーションスキル、問題解決能力を身に着けたグローバルリーダーの育成を目標に掲げ、SGH指定校の実践は徐々に蓄積されつつある。 グローバル教育が日本政府の重要課題となる一方、「グローバルリーダー」の定義はあいまいである。また、中等教育でのグローバル・シティズンシップ教育の学習評価の研究や、海外体験学習の評価に関する先行研究は、前者は少数であり、後者は管見の限り見当たらない。グローバル・シティズンシップ教育は高等教育での実践や研究が多いが、日本の国内で多文化化が進み、また生徒・学生の海外留学や海外体験が促進される動きの中で、初等・中等教育という、より早い段階からの実践が重要となる。 |
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(参考文献) ・日本国際理解教育学会編著『国際理解教育ハンドブック―グローバル・シティズンシップを育む』明石書店、2015 ・藤原孝章『グローバル教育の内容編成に関する研究 』風間書房、2016 ・原田亜紀子「グローバル・シティズンシップ教育に関する研究動向」東京大学大学院教育学研究科紀要, 59, 197-206頁、2020 |
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2.グローバル・シティズンシップ教育の課題 国際理解教育、グローバル教育、シティズンシップ教育は起源が異なるが、その区分が明確には定義されておらず、相互に重なり合いながら、それぞれが目指す「グローバル・シティズンシップ」像や人権教育、平和教育、開発教育などのアプローチを共有している。 グローバル・シティズンシップ教育は、国民国家を基礎とし、「地位」「アイデンティティ」「実践」まで含む「シティズンシップ教育」と、人権教育、開発教育、異文化間教育など幅広いグローバル・イシューを含み超国家的な視点に立つ「グローバル教育」を接続する矛盾を抱えている。その中で人類が「同じ人間として」共有できる規範と、個人・地域・国ごとの独自性を尊重する道を模索し理論を構築する研究が、北米や英国を中心に蓄積される。 現在のグローバル・シティズンシップ教育の研究は、カリキュラムの制約が少ない高等教育が中心であり、大半は様々な教育的戦略のインパクトに関するものである。しかし、グローバル・シティズンシップ教育が、長い目で見て学生に対しどのような影響を与えているかといった研究は限られており、さらに、初等・中等教育におけるグローバル・シティズンシップ教育の実証的な研究は極めて少ない。中等教育でのグローバル・シティズンシップ教育は、ナショナルカリキュラムや試験の制約により、民主主義、人権、社会正義などの要素が弱められてしまう。またグローバル教育研究には、学校現場における生徒のプログラム前後、あるいは長期的な期間を経ての態度変容といったミクロな研究が乏しく、そのアセスメントが難しいことが指摘される(石森2014)。グローバル・シティズンシップが「責任」「共感」「異文化理解」といった規範的なものになると、「権利」「実践」などにつながりにくくなる。さらに、グローバル・シティズンシップの普遍主義的、規範的な側面のみに焦点を当てると、階層の再生産や多様性への寛容さが欠落することも起こりうる。グローバル・シティズンシップの多面性に配慮しながら、国家間の非対称性、エリートと非エリートの非対称性、といった批判的なリテラシーをも視座に入れたグローバル・シティズンシップ教育が求められる。また生徒の日常生活の感覚から離れた学びは、問題解決のための行動や参加につながらないといった課題も指摘される。グローバル・シティズンシップの教育実践にあたっては、「グローバル・シティズン」の多様な定義の中で、生徒の経験に立脚した問いや分析の視座を設定し、生徒の学びを検討する必要性がある。 海外体験学習は、グローバル・シティズンシップ教育の一環として位置付けられ、また近年短期のプログラムが増加している。こうした動きの中、海外体験学習の効果検証にはルーブリックの活用やメジローの「変容的学習理論」での分析など様々な試みがなされている。しかし、学習後の学生をめぐる日常生活の様々な経験を考慮すると、個人の持つ多様な文脈や背景も含む長期的なインパクトをどのように測れるのか、が課題となる。 |
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(参考文献) ・石森広美『グローバル教育の授業設計とアセスメント』学事出版、2014 ・子島 進・藤原 孝章編『大学における海外体験学習への挑戦』ナカニシヤ出版、2017 |
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3.高等学校での実践事例 本稿で取り上げる事例は、神奈川県の慶應義塾高等学校で2010年度から4年間実践された「高大連携による国際協力プログラムーカンボジアでの体験学習を中心にー」である。このプログラムは「他者との豊かな共生」について、途上国との関係や先進国の役割から考え、長期的な問題意識を持ち行動する生徒の育成を目的とし、1.事前学習 2.スタディツアー 3.事後のふりかえりにより構成された。事前学習から事後学習まで、大学生がリーダーシップをとり、高校生のグループ学習やプレゼンテーション、NPOとの協働の支援、現地でのスタディツアーでの毎晩のミーティングの進行などを行った。 1.の事前学習では(1)テーマ学習とプレゼンテーション (2)プノンペン大学生や現地の小学校の子どもとの交流のための「英語学習会」と「クメール語講座」(3)大学教員やNPO職員による講演を行った。2.のスタディツアーでは、貧困層の家庭や小学校、プノンペン大学や地元青年団との交流や、キリング・フィールドやトゥールスレン博物館といったポルポト時代を中心とした歴史学習、貧困層の雇用を支援するNPOの視察などを行った。スタディツアー中には毎晩、振り返りの時間を設け、議論をした。3.事後のふりかえりでは、報告会と同時に、全行程中の毎日の記録を冊子化した。 本事例では、生徒の学習効果を測るのではなく、生徒がプログラムの経験をどのように意味づけているのか明らかにすることを目的とし、ライフストーリーインタビューから検討した。インタビューからは、メジローが指摘するような、ジレンマ、罪や恥の感覚、といった変容の契機となる強い感情を経験してなくても、生徒の多様な学びや、社会問題解決のための行動に至ることが浮かび上がってきた。数名の生徒達は、プログラムで学び、現地で目撃したカンボジアの状況に大きなショックを受け、パラダイムシフトが起き行動変容につながった。ツアー中に貧困家庭を訪問し話を聞きながら、ホテルでは快適な空間や食事を楽しむ矛盾に苦しんだ生徒は、「知ることと伝えること」に意義を見出し、新聞記者の道を選んだ。自分の無力感にさいなまれ、困っている人を助ける力を身につけたい、と大学でNPOや社会起業について学び、社会起業家となった生徒もいた。一方、大きな価値変容を感じていなくても、プログラム終了後に、東日本大震災のボランティアに定期的に通ったり、留学生の支援に参加したりするなど、自然に他者への支援を行うようになる場合もあった。あるいは、法学部での法支援整備の授業とカンボジアでの体験がリンクして、学術的な知見がより深まったという見方もあった。 途上国についての事前学習や現地での経験が、生徒自身のライフコースや日常生活にローカル・グローバルにそれぞれの形で結び付き、卒業生たちは個別に多様な経験の意味づけを行い、また受け止め方と後の行動の在り方も多様であった。 大学生については、高校生との協働により、大学生のみでは体験の消費に流されてしまいがちな現地での学びを真摯に受け止める高校生から強いインパクトを受けていた。 本事例は、一校の限られた事例であり、分析には限界があるが、「グローバル・シティズンシップ」の概念や実践を、生徒の日常世界や言語とどう接続していくかは、グローバル・シティズンシップ教育の今後の課題である。 |
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