登録/更新年月日:2019年7月10日
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1.教員の転機と学びの選択 【概要】 教員が個人の主体的な選択により大学院等の高等教育機関へ社会人入学をすると、職場で行われる現職研修よりもさらに深い高度な学びによって、教員個人の視点や考え方、つまりパースペクティブ変容を経験する。大学院教育は大別すると教職大学院で行われるプロフェッショナルな教育と、既存の大学院におけるアカデミックな教育に分けられるが、より大きなパースペクティブ変容が起きるのは、アカデミックな高等教育の経験である。アカデミックな学びを経験した教員の事例からそのパースペクティブ変容の過程を検討すると、教師という職業に携わる人々が、自分の経験や専門性をベースとした生涯学習によって、それぞれの人生の軌跡を拡張していくひとつの典型として捉えることができる。 【説明】 教員がアカデミックな大学院へ進学した事例を見ると、その主な動機は、専門性に対する向上心や学びへの渇望であることが多い。免許取得や職能向上だけではなく、もっと根源的な学びへの欲求が背中を押しており、そこには職務経験を蓄積した成人ならではの共通した心象が見られる。また、進学状況は多様で、一度だけではなく、何度も進学を重ねる事例が目立ち、リカレント教育によって個々の人生を拡げていく姿が浮かび上がる。 (1)教員の転機と学び 教員のライフコース研究は、力量形成上の転機として、プラスの発達を獲得した転機と、力量的にマイナスを感じて何かを喪失した転機があることを示している。中年期の危機や教職の行き詰まり感には個々の教員の資質、家族関係といった個人的背景だけでなく、時代的・社会的背景も反映される。例えば管理的役割に移行していく教師の熟達や葛藤の経験と、家庭的役割との両立のため、領域を絞って力量形成に努める教師の営みでは異なる取捨/選択と、獲得/喪失の軌跡が描かれる。 (2)成人の学びとパースペクティブ変容 成人の学びとは、思考や行為の仕方を束縛している狭い解釈・認識の枠組みを問い直し変えていくパースペクティブ変容の過程である。成人は社会生活のなかでその妥当性を批判的に吟味する経験を重ね、人生の危機に出会うことで個人のもつ意味構造を変容させるが、そこにこそ成長と学習の契機がある。成人教育学者ジャック・メジローは成人期の発達プロセスの中核は、よりいっそう包括的で識別能力があり、広がりのある統合されたパースペクティブが発達する可能性であり、パースペクティブ変容には(a)エンパワーされた自分という感覚 (b)自らの社会関係と文化が自分の信念と感情を形作ったことへの批判的な理解、(c)行動を起こすためのより機能的な戦略と資源がともなうと述べている。 (3)成人の成長と衰退のダイナミクス 生涯発達心理学者ポール・バルテスは、成人の生涯発達を成長と衰退の混在したダイナミクスとしてとらえている。個人の人生の途上で、ある能力のピークをこえた場合、有効に機能する領域がより選択化されるが、その際に選びとられる領域は絞られてくる。生涯発達の一般的特徴は、年齢の上昇にともなって選択的に選びとった内容が補償作用をともないつつ、主に思考を中心とした領域で熟達化に向かう。選択的最適化とそれによる補償あるいは代替のメカニズムが発達することによって生涯発達という長期スパンの学びが実現される。 |
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(参考文献) ・ジャック メジロー『おとなの学びと変容―変容的学習とは何か』鳳書房、2012 ・Baltes,P.B. ’Theoretical Propotitions of Life-Span Developmental Psychology on the Dynamics Between Development‘“Developmental Psychology“ Vol.23,No5、1987 ・山崎準二『教師のライフコース研究』創風社、2002 |
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2.教職経験者のパースペクティブ変容 【事例】 教職経験の後、大学院でアカデミックな学びを経験した事例では、以下のようなパースペクティブ変容の過程がみられた。 (1)矛盾(学びの欲求) 一般に実務経験を10年以上も積み重ねると、職務における自分の得手不得手や効力感、有能感などの自己概念が明確になってくる。また職場で直面する矛盾から様々な葛藤も生じる。「先が見通せない」「現場で飽き足らなくなる」といった倦怠感や枯渇感、あるいは若いころの新鮮な感性や体力的フットワークに陰りを感じるのもこの頃である。社会的役割と責任の増大、青年期までに獲得した知識の不足や陳腐化への気づき、実践の中でぶつかる矛盾、社会構造的な課題に対する問題意識などが絡み合って、より高度な学びへの欲求が高まる。 (2)自らの状況を変える(学びの方向性) 既存の大学院へ社会人入学をするためには、進路先を選択し入学試験を通過しなければならない。その際に、青年期に学部で専攻したものとは異なる専門や研究領域に進む事例も少なくない。例えば体育教師が大学院では心理学を専攻したり、美術教師が大学院では教育学を専攻した事例にみられるように、経験を経てより選択的に次の専門性へと舵を切ることで、選択的最適化とそれによる補償あるいは代替のメカニズムが働く。 (3)葛藤(実践と理論の相克) 学校の現場は多忙で走りながら考え、また走り続けることの連続である。教員の頭の中には具体的なエピソードが満ちている。しかし、実践の引き出しが増えても、ある段階からはそれ以上の発展につながらず、何かもっと抜本的な視点が欠けていることを感じている。だからこそ大学院に進学したが、大学院の学びは学部までに経験したものとは大きく異なるため、大学院における高度な議論の場で語られる理論と、実践から得た実践知との間に違和感や葛藤を感じることが多い。 (4)破壊と獲得(実践の相対化) 理論は実践を基礎に実践の要請に応えるものとして形成されるのであるが、ひとたび形成されれば、理論独自の自立性を手に入れる。そのため、実践と理論はある意味で絶えずギャップが生じる関係にある。理論は理論内部の事情や不整合性を標準化しつつ発展するが、一方で社会的実践も絶えず多方向に進行し、矛盾しつつ収斂したり拡散したり、人々の認識も絶えず変化していく。教育は社会と不可分の関係にある複合的な営みであり、現実は理論どおりには進まない。しかし、理論的な知見を知らない実践は行き詰まる。このような衝突や対話を通して理論も実践も修正され、改善され、進展につながる。実務家は自らの実践を相対化することで、視野の拡がりと共に、次なる学びのサイクルを自ら生み出していくアカデミックスキルも獲得することができる。 【課題】 実践と理論の狭間で葛藤しながら新たな知見を生成する過程は、以前の狭い認知的、言語的、環境的な諸権力からある種の解放を手に入れる過程でもある。学びとは固定的な効力をもつものではなく、過去の準拠枠も、新しく獲得した認識の枠組みも次の歩みへの通過点であり、そこで安住、停滞するものではない。到達した地点からまた歩み続けることで、振り返れば新たな軌跡が残る。このように、自らを変容させ、解放させたいという思いで試行錯誤しながら生きる姿は、経験と学びの相乗によって自身の人生をコントロールしようとする、まさに成人の生涯学習の過程であるといえる。 |
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(参考文献) ・白山真澄「成人の学びとパースペクティブの変容―教職経験者のリカレントな進学の事例から―」『日本生涯教育学会論集』38、2017 |
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