生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2009(平成21)年12月30日
 
 

親の離婚を経験した子どもたち (おやのりこんをけいけんしたこどもたち)

children whose parents were divorced
キーワード : 離婚率、ステレオタイプな家族像、親が離婚した子どもへのまなざし、ダブルバインディングな親子関係、ファミィリィ・アイデンティティ
梶井祥子(かじいしょうこ)
2.親の離婚を乗り越える戦略
 
 
 
 
   親の離婚によって、子どもたちは周囲からの「親が離婚して可哀想」という同情的なまなざしに晒されることが多い。親の離婚そのものよりも、周囲のまなざしの変化が「辛かった」ということが、多くの子どもから語られた。その意味で、私たちの彼らを見つめるまなざしが、彼らに二重に「生きづらさ」を感じさせているということが明らかになった。「周囲は“母親がいて当たり前”という感じですよね。よく友だちのおしゃべりのなかでも“昨日母親とこんな話をした”とかいう話題になったりして、そういうときには、自分に(その話題を)振られたらどうしよう、って身構えることはありましたね。」、「人に知られて同情されたくないっていう気持ちがすごくありました。負い目を感じるって言うか、劣等感っていうか、そのことを他人に知られたくないって思っていました。」、「友達とかの会話のなかで、自分の家族はフツウじゃないんだ、って気付かされちゃう、他の人から見たら自分たちはフツウじゃないんだ、フツウじゃないって見られているんだ、って知るのが、自覚するのがイヤなのかもしれない。」などの独特な心理状況が語られた。このような心情は、だいたい中学あるいは高校、大学と年齢が高まるにつれて克服されていく。高学年になるにつれ、同様な家庭環境にある友人に出会うことで、自分の気持ちが「楽になった」・「救われた」と話す事例は、男女ともに共通して多く語られた。
 私たちの社会には、「家族」という言葉でイメージされるステレオタイプな家族像が存在している。それは家族の理想であったり、道徳的な家族像であったりする。多くの人が合意している家族モデルに当てはまらない家族を持った子どもは、時として独特な「生きづらさ」を感じている。彼らが時として家族構成を尋ねられて「とまどい」を見せるのは、他者の持っている家族意識と自分の家族の実態が、合っていないのではないかという懸念からである。
 一方で、ひとり親と子どもの間には、より強い親子の絆が結ばれる場合が多い。「逃げたくても求めてしまうもの」、「フツウの家の子どもと一番違っているところは、家族に執着してるってことだと思いますね」などの語りから事情がうかがわれる。また、「子離れ”が大変っていうか。私のほうは“親離れ”できていると思うんですが、母は私にベッタリしてる。」、「母と私の二人だけって、逃げ場がないっていうか。親子関係のストレスを無意識のうちに溜め込んでいるかもしれません。」、「私は独立して自立したいと思っているけれど、自分が家を出たら、今の家族はどうなってしまうんだろうと考えると、わからなくなります」。これらの語りから、「ひとり親と子ども」という親子関係には、「もうひとりの大人」という緩衝材となる人間が不在であり、親にとっても子どもにとっても、「自立」と「束縛」を求めるというダブルバインドに陥りやすいという抜き差しならない面が浮かび上がってくる。
 しかしながら、両親性(=両親は揃っているほうが良いという意識)は否定的に語られることも多かった。例えば、「必ず両親が揃わなければならないとは思いませんね。自分も何とか育ってきましたから。」「父は一緒に暮らしている時も出張がちであまり家にいなかったし、いないことに慣れていきましたね。」などである。両親性の否定は、「現実」を受け止めるために必要だったと推測される。
 
 
 
  参考文献
 
 
 
 
 



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