登録/更新年月日:2012(平成24)年1月3日 |
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ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)は、デンマークにおける成人教育において重要な役割を担った人物である。18世紀から19世紀半ばに生きた彼は、北欧神話の学者であり、また神学者でもあり、詩人、そして教育思想家であった。現在でも彼の携わった讃美歌はデンマークの教会中で人々によって歌われている。彼は、現在のデンマーク教育省による分類で、自由成人教育に位置付けられているフォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)という16歳半また17歳半以上の人々が学習する、全寮制の学習機関の教育思想を構想とした人物として、デンマーク国内及び欧州を中心とした海外で高い評価を受けている。 例えば、EUは近年、欧州域内での生涯学習によるネットワークプログラムを計画、実施しているが、そのプログラムにおける成人教育部門の名称は「GRUNDTVIG」である。 ここでは、グルントヴィの生涯と思想について記すこととする。 グルントヴィは、1783年にシェラン島南部のウズビュ(Udby)という町で、牧師の家に生まれた。牧師館や教区の集会所で教会史やデンマーク史の本を読み、また時事に関する大人同士の議論の中で育った。またデンマークの地域文化に伝わる歌や物語、伝説にも人々の語りから触れる中で育ち、この中でデンマーク語や人々の文化に対する感受性は育まれた。 1798年にオーフスにあるラテン語学校に入学し、大学入学の資格試験に合格する。そして1800年にコペンハーゲン大学で神学を学ぶが、これまでのラテン語学校で受けた、書物中心であり、また暗記中心の詰め込み式教育に対して批判的な視点を持つようになった。その後、1805年には家庭教師をしていた生徒の母親との失恋を経験し、それまでの合理主義を改め、ゲーテやシェリング、フィヒテといったロマン主義の作家達の本を読みふける。1810年に故郷に戻り、1826年には、既存の教会の体質や神学の教義に批判を行ったことから起訴をされ、その後、1837年まで、彼の出版物全てに対して検閲を受けることとなった。 その後、王室の援助を受けて1829年にイギリスに渡航し、イギリスの図書館で写本に関する研究を行いながら、産業化が進むイギリス社会を体験した。そして1831年にはケンブリッジのトリニティーカレッジで、学生と教員が同じ敷地内に住み、食事も含めた生活を共にし、学生と教員の自由な対話が重視された学習環境と出会い、この経験がグルントヴィの教育思想に大きな影響を与えた。 彼の思想は「生きた言葉」「人生の啓蒙」「国民啓蒙」「相互作用」「一般の人々の知性の重視」といった言葉で説明をすることができる。彼は、書物は二次的であり、人間が実際に話す言葉、生活に根差した言葉を重視した。また容認された理論や事実を教室で学ぶことも大切であるが、人生の真理自体は、人生や生活そのものからし学ぶ事ができないとした。そして各々の個人が暮らす文化を大切にすること、そして個々人や制度、権力同士が、互いを尊重することに基づく対話のなかで学び合うことができるような相互認識が、個人や社会に視野を広げた社会を創造すると考えた。さらに、出身地域や階級も様々な人々が出会い、共に生活をし、母語や自国の歴史、国の現状を学ぶ学校を構想した。この構想がフォルケホイスコーレ設立への礎となっている。 br> |
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参考文献 ・スティーヴン・ボーリッシュ『生者の国−デンマークに学ぶ全員参加の社会』新評論、2011年。 |
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