生涯学習研究e事典
 
登録/更新年月日:2018年10月20日
 
 

生涯教育研究と質的研究法(しょうがいきょういくけんきゅうとしつてきけんきゅうほう)

perspective of life-long education studies and qualitative research methodology
キーワード : 「人」を射程とする研究 、人間観 、生涯学習者 、固有の学習実態 、研究手法の複線化
山内薫(やまうちかおり)
 
 
 
  1.生涯教育研究における「人」を射程とする研究
 一概に生涯教育の研究といっても、その対象は個人から機関や企業、行政機関まで幅広い。本項では、生涯教育研究の中でも「人」を射程とする研究と質的研究法との関連性を見る。
学習を生涯の過程と捉え、生涯教育論を提唱したラングラン(1979)は、1969年にユネスコの雑誌に掲載された“Perspectives in Lifelong Education”において「個性を顕現するための教育」に関し、次のように述べている。
 「ひとりひとりの人間が、その全生涯をかけて、自分自身の知識を獲得しながら生きているのである。(中略)人は、学校で課せられるような強い圧力に屈服することなく、生涯の連続的な各段階において、あれこれと試行錯誤をしながら、他の人とのかかわりの中で、また自分自身との対話の中で、自分の独自性をあらわしていくものである。」
 つまり、生涯教育において、人は、一人ひとりの「個性を顕現するため」に、他者とのかかわりと自己との対話を、生涯の様々な段階においてくりかえし行っていく存在である。
 ラングランの生涯教育論における人間観に鑑みると、生涯教育研究と質的研究法には深い関係がある。ラングラン(1989)が提唱する生涯教育論においては、「あるがままの人間」の育成が生涯教育の目的とされる。1960年代、教育は試験による競争原理や他者との量的比較に基づく序列主義により、人を「あるがままの人間」と相反する「分離の犠牲者」とさせていた。しかし、人間は、皆、「独立した個人」であると同時に、「他者ならびに社会一般」という普遍的な環境にも属し、「責任をもち、参加し、交流」している。また、「自分自身の教育の主体」として、時間と自身の生涯との間に「建設的で生々とした関係」を創造し、絶え間ない変化と再生を行っていく存在である。このようなラングランの生涯教育論における人間観に基づくと、「人」は次のような存在として捉えられる。
1)一人ひとり、独自の表情を持つ存在。
2)時間の流れの中で自身に関わる様々な事象を連繋させながら変容する存在。
3)他者との関係性及び内省を重ねながら「学習と自身の人生とのつながり」を創造し、「移動」し続ける存在。
 つまり、「人」は、「生涯学習者」に養成されるのではなく、生まれながらにして「生涯学習者」なのである。質的研究法は、このような「生涯学習者」に対する教育のあり方を探る研究法として最適である。質的データの分析手法であるSCATの提唱者である大谷は、質的研究を「研究対象に対する非計量的データを採取し、それを科学的な手続きで分析して結論を得る経験科学的研究」と定義している。質的研究法においては、参与観察、非・半構造化インタビューやフィールドワーク等により、複層的、多面的、及び包括的にデータを収集する。そして、収集された質的データをもとに、研究者が、特定の協力者の経験や意味世界と社会的・歴史的文脈を包括し、解釈的理解を行う。生涯教育研究の中でも「人」を射程とする研究においても、個々の学習者を対象とし、固有の学習実態を把握することが目的とされる場合、サンプル数の多少ではなく、一つ一つのサンプルを当該のサンプルが置かれている社会・文化的文脈を考慮しつつ、詳細に分析し、記述する。つまり、研究対象の有する一般性を明らかにすることではなく、個別性や具体性を熟視することが必要となる。そして、一人ひとりの「人」の生のあり様から、「個性を顕現するための教育」としての生涯教育のあり方を熟考する。
 
  (参考文献)
・大谷尚「質的研究とは何か―教育テクノロジー研究のいっそうの拡張をめざして―」(『教育システム情報学会誌』25(3)、pp.340-354、2008) pp.341-342
・ラングラン,P.「生涯教育とは」 持田栄一、森隆夫、諸岡和房編『生涯教育事典 資料・文献編』日本ユネスコ国内委員会訳、ぎょうせい、1979、pp.36-37
・ラングラン,P.『生涯教育入門 第二部』波多野完治(訳),第3版,全日本社会教育連合会、1989
 
 
 
  2.生涯教育研究と質的研究法における課題
 先述したように、「個性を顕現するための教育」としての生涯教育研究において、「人」は、「自分自身の教育の主体」として、時間と自身の生涯との間に「建設的で生々とした関係」を創造し、絶え間ない変化と再生を行っていく存在である。そのような「人」としての学習者の学習に対する意識、学習の動機や過程、あるいは変容を追うことを目的とする場合、質的研究法が適している。しかし、このことは、量的研究法の否定を意味しない。応用言語学者であり、英語教育学者である竹内は、研究手法の複線化の必然性を指摘している。具体的には、「質的や量的というパラダイム論ばかりに捕らわれることなく、我々の目的(つまり学習者の全体像をあぶり出す)に相応しい方法を積極的に併用していくような、良い意味での「折衷的アプローチ」(mixes methodology)が強く望まれる」と述べるとともに、「学習者を対象とする場合には、関係する要因を1つ1つ抽出してバラバラに取り扱うのではなく、不可分な「全体像」として捉えるような、一段上のマクロな視点(ecology of language learning)を持って取り組んでいく必要」があると指摘する。また、研究法を修正して用いるという場合もある。修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を提唱した社会学者の木下(2005)は、研究法の修正に関し、「基本的な考え方、エッセンスの部分の理解が重要」であり、「具体的な形には研究者自身の判断によってある程度ヴァリエーションがあってもかまわない」と述べる。また、「むしろ、すべての手順を厳密に踏襲するよりも、どこかに自分で修正をして自分版の方法としていくこと」を推奨している。
 では、この「研究者自身の判断」が独断的、あるいは偏向的とならないためには何が必要となるのか。構造構成主義的質的研究法(SCQRM)を提唱した西條(2007)は、研究において、科学性を担保する条件、つまり「知見を公共性のあるものにするための条件」として、「現象を構造化すること、そして他者が批判的に吟味できるよう構造化に至る過程を開示すること」の2点を挙げている。そのうえで、「構造化に至る過程までの諸条件」の開示により、反証可能性の担保も可能となると述べる。「構造化に至る過程までの諸条件」の開示は、質的研究にのみ必要とされるわけではない。量的、質的にかかわらず、「人」を対象とする研究においては、自身が選択、構築、あるいは修正した研究法の妥当性や適性を、開示することをとおし、問い直していく必要がある。
 「人」を対象とする研究においては、特に、複雑な研究背景や研究協力者の状況や事情、さらには倫理的制約等が絡み合い、質的研究法を採択できない場合もある。しかし、心理学者の南風原が説くように、量的研究を遂行する場合においても、臨床心理学において重視される「個」の視点を研究において忘れずにもつことで、新たな研究の可能性が広がる。また、どのような研究においても、常に研究理念と研究の問いに照らし、自身が用いる研究法が適切かどうかを省み、熟考しつつ、研究を進めていくことが重要である。今後、研究対象となった少数の「人」のあり様や学習プロセスを可視化することのみならず、可視化された「人」のあり様や学習プロセスが生涯教育の何に寄与できるか、より具体的には、教育実践における生涯教育環境の構築にどのような示唆を与えられるかに関しても追究することが課題となる。
 
  (参考文献)
・木下康仁『分野別実践編グラウンデッド・セオリー・アプローチ』弘文堂、2005、p.21
・西條剛央『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMベーシック編―研究の着想からデータ収集、分析、モデル構築まで』新曜社、2007、pp.40-45
・竹内理「第1章学習者の研究からわかること―個別から統合へ―」小嶋英夫・尾関直子・廣森友人編『成長する英語学習者―学習者要因と自律学習―』英語教育大学系第6巻、大修館書店、2010、p.20
・南風原朝和『量的研究法 臨床心理学をまなぶ7』東京大学出版会、2011
 
 
 
  3.質的研究法を用いた生涯教育研究事例―日本語学習ポートフォリオ作成活動
 本項では、質的研究法を用いた研究の一事例として、生涯教育の視点に基づく日本語学習ポートフォリオ作成活動(以下、活動)に関する実践研究を紹介する。本研究では、学習者が「自己評価の可視化と蓄積」―日本語/外国語学習と様々な学習経験を併せ、「生涯」という観点から内省し、統合的に意味づけ、各自が保有する多様な能力(言語的能力、専門的能力、生きる力)の活用へとつなげられるような生涯学習環境の構築を試みた。活動は、海外の学部生(フランス国立大学の日本語学習者 約130名)を対象に、2010-2011年度の日本語科目「言語実践」内の一活動として行われた。各学習者はポートフォリオに日本語学習や大学の学生生活・授業等のふり返りを記述するとともに、クラス活動の一環として、ポートフォリオへの書き込み内容を軸に、口頭発表、日本語の教科書作成や日本語授業デザインを行った。授業担当者の役割は、ポートフォリオの保管、面談、学習者間の共有の場の構築である。
 過不足なく提出された、記述内容の豊かなポートフォリオ8編を次の観点で質的に分析した。@本活動は、各学習者の「自己評価の可視化と蓄積」の機会となっていたか、A「自己評価の可視化と蓄積」により、学習者の日本語学習や学びに対する意識はどのように変容する可能性があるか。分析の目的は、ポートフォリオの記述内容をもとに、生涯学習環境の構築に対する示唆を得ることである。本研究では、分析手法として「一つだけのケースのデータやアンケートの自由記述欄などの、比較的小規模の質的データの分析にも有効」とされるSCAT(Steps for Coding and Theorization)を採用した。
 分析の結果、活動は、各学習者の「自己評価の可視化と蓄積」の機会となり、授業内外において無意識的に行っていた様々な活動や行為を意識的な学習へと変容させるきっかけとなっていることがわかった。具体的には、以下のような「自己評価の可視化と蓄積」に関する変容の過程が明らかになった。
1)日本語学習と自身の人生のつながりを省察することの意味づけ
2)日本語学習・外国語学習・専門科目学習の関連に対する意識化
3)学びは大学という教育機関のみに留まらないことへの気づき
4)人生における現在の自身の位置づけ
 分析では、ポートフォリオの記述内容から語句を一つ一つ取り上げ、それらの真意を考え直すというSCATの作業をとおし、将来像や時期、学習経験と現在の学習、人生と現在という「時間的視点における変容」、及び複数の言語環境、学習環境、専門科目という学習者の「空間的視点における変容」のあり様を可視化した。そして、それらの変容の過程に見られる複雑かつ複層的に入り組んだ関連性を捉えた。それにより、ある時、ある場所における日本語学習体験は、その「人」自身の内に肯定的あるいは否定的な経験として意味づけられ、その意味づけをもとに、新たな時、新たな場所で新たな日本語学習体験が生み出されていく、また、一つの意味づけは、新たな日本語学習を意味づける指標となるという示唆を得た。このような示唆は、日本語教育実践者の学習者に対するまなざしの変容を促し、学習者を閉じられた教室環境から時間的及び空間的に拡がり続ける環境へと解放する転機となる。
 本項では、質的研究法を用いた研究の事例を紹介したが、「人」を対象とする研究においては、先述したように量的研究法を含めた研究手法の複線化も考慮されるべきであろう。
 
  (参考文献)
・大谷尚「SCAT: Steps for Coding and Theorization―明示的手続きで着手しやすく小規模データに適用可能な質的データ分析手法―」(『感性工学』10(3)、pp.155-160、2011) p.155
・山内薫「フランスの国立大学における日本語ポートフォリオ作成活動―日本語学習者の多様性を考慮した日本語学習を目指して―」(『早稲田日本語教育実践研究』第1号,17-35、2013)
・山内薫「生涯教育研究と質的研究法―質的研究法を用いた日本語教育実践研究の事例から―」(『日本生涯教育学会論集・38(日本生涯教育学会)』pp.133-142、2017)
 
 
 
 
   



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