登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日 |
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成人期の多様性は、成人の学習のとらえ方の違いにもつながる。 まず、自己決定性を成人学習者の特徴とする見方がある。たとえば、ノールズは、「成人の学習を支援する科学と技術」であるアンドラゴジーにおいて、以下の4つの特徴を仮定している。 1. 学習者の自己概念は依存的なパーソナリティの人間から自己決定的な人間のそれへと移行する 2. 経験の貯えが増し、それは学習資源の増大を意味する 3. 学習へのレディネスは社会的な役割の発達課題へと向けられるようになる 4. 学習者の時間のパースペクティブは、長期的な視点での知識の応用から即時的応用へと移行し、学習への志向性は教科中心から問題中心へと移行する そして彼はこのような仮定にもとづいて、アンドラゴジーの教育モデルを提示するのである。そこでは、水先案内人あるいは情報提供者としての教育者に対し、計画に積極的に関与する自己決定的な学習者が描かれている。このような学習者の自己決定を重視する観点では、学習者の自覚したニーズ、表明した当初のニーズが学習のプロセスを推進する。 しかし、メジローやブルックフィールドらは、学習者の表明した当初のニーズを絶対視しない。メジローは、成人は、日常生活のなかで図らずも歪んだ社会意識、ものごとの認識や判断の体系を身につけてしまっているのであり、それを変容し再編成するものとしての「パースペクティブ変容の学習」を主張する。ここでは、学習者は自らの感じるニーズの背景にまで遡って学習経験を批判的に検討することが求められる。ブルックフィールドもまた、異なる意識を有する他者との相互作用を通して自らの意識を相対化し変容させることに学習の価値を求めている。彼によれば、成人が自覚し表明するニーズは、狭く限られた枠組みから生じるものであり、真のニーズは学習者が常に表明できるものではない。そこで、ノールズのいうような水先案内人あるいは情報提供者としての役割にとどまらない教育者の役割が重要とされるのである。 ノールズらの主張する学習と、メジローやブルックフィールドらのそれは、想定する学習者像、そしてその結果として導かれる教育者の役割のいずれも大きく異なる。しかし、経験の役割を重視する点においては両者とも変わりがない。先に示したように、ノールズは学習資源としての経験の役割をアンドラゴジーの特徴として仮定し、メジローは批判的に検討されるべきものとして学習経験をとらえているが、ブルックフィールドもまた、過去の経験が現在の自己や世界の解釈に影響していることを認めているのである。成人が多様な存在である以上、学習者としての成人、そしてそのとらえ方が異なるのも無理のないことかもしれない。しかし、多くの経験を有する存在であるということはあらゆる成人に共通している。このように考えると、成人の学習を理解し、支援するにあたっては、学習者の経験がきわめて重要な要素となるのは間違いないことであろう。 br> |
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参考文献 ・Knowles, M. S., The Modern Practice of Adult Education: From Pedagogy to Andragogy. Association Press, 1980. ・Mezirow, J., Education for Perspective Transformation: Women's Re-entry Programs in Community Colleges. Teachers College, Columbia Univ., 1978. |
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